有為転変

【漢字】有為転変
【読み】ういてんぺん
【意味】世の中は常に移り変わっていくはかないものだと嘆く。
【例文1】5年ぶりに田舎に帰省したら空き地がマンションばかり建って、有為転変で少し寂しい。
【例文2】携帯ゲームの普及で子ども達が体を動かす遊びをしていないのが有為転変で残念だ。
【例文3】森林が減り有為転変だ。

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この世は有為転変 だから思い悩むことはないんです

「有為転変」は仏教の言葉です。有為というのは、因縁によって生じたこの世のあらゆる存在や現象のこと。つまりこの世のすべての物事は常に移り変わるものだというのが、有為転変の意味です。
おそらく多くの人は「諸行無常」という言葉を連想したことでしょう。こちらの方が有為転変よりもよく知られている言葉かもしれません。諸行無常も仏教用語で、その意味は有為転変と同じです。
この考え方は仏教思想の根幹にあるもので、ですから、有為転変という言葉を理解できれば、仏教の根っこのところは把握できたことになるわけです。
小野小町の「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」や、古今和歌集の「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵が今日は瀬になる」、あるいは鴨長明『方丈記』の「ゆく川の流れは絶えずして」という有名な書き出しも、すべて仏教の無常観にもとづくものと考えていいでしょう。
つまり、日本人は、なんとなく感覚で無常観を理解できている民族なのかもしれません。
「無常」は「無情」と混同されがちですが、要注意。「無常」と言うのはあくまでもこの世の真実のありようを説明した言葉であって、「情のあるなし」とは関係ありません。
有為転変、諸行無常であるという考え方にもとづけば、「今の辛さや悩みも移り変わるものだから、くよくよ思い悩むことはない。いずれ時が解決してくれる」というポジティブ思考も生まれるでしょう。
仏教は、決してネガティブなニヒリズムではありません。この世を楽に生きるための考え方を教えてくれている人生哲学なのです。

有為転変・・・だからこそ面白い人生

有為転変は世の習い、これはこの世は常に激しく移り変わりとどまることなく変化することで仏教の世界観そのものを表す言葉です。この言葉で思い浮かぶのが平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響き有り」ですね。盛者必衰の大きな物語のテーマが最初に謳われています。いろは歌にも「色は匂えど散るぬるを わが世誰ぞ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず」とこの世の無常をうたっています。少しもの悲しくなる響きですがこれは無常を嘆いているせいでしょうか。移り変わり行く世の中を静かな境地で見つめているのではないかとも思えます。赤ん坊が寝返りをし、やがてはいだし歩き出す、無常であるからこそ人生は成り立っています。人の心も変わります。様々なことが変わっていくのには原因も条件も違いますがそれを受け入れてその上で自分もまた変化していくことが大切なのではないでしょうか。過去や物欲に固執することは有為転変を受け入れられない不幸に己を落とします。無常はそれを否定するものではなく受け入れるもの、そしてそれを楽しむことができたらどんなに気が楽でしょうか。人は何十年もかかってその無常を受け入れ、己もまた土に帰るものだと思います。