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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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求めよさらば与えられん

【漢字】求めよさらば与えられん 【読み】もとめよさらばあたえられん 【意味】与えられるのをまっているのではなく自ら求めることが大事。 【例文】自分から動け。求めよさらば与えられんだ。 日本大学のアメフト部員による悪質タックル問題が、少しずづ日大内のいろいろな部分にまで影響を及ぼしています。タックルをしてしまった選手本人は、自ら会見を開き、歯切れの良い言葉で彼なりの真実を伝えました。その数日後、反則を指示したとされる監督とコーチが、歯切れの悪い言葉ながら会見を行いました。「新約聖書」に「求めよさらば与えられん」、ということわざがあります。現代では、起源の意味から転じて、自ら積極的に努めれば、自身にとって良い結果を得られる、という意味を持ちます。ここにおいて、積極的に行動を起こして良い結果・相手チームからの納得を得たのは、タックルをしてしまった選手だけであると思います。世間からの評価も同様であると感じます。また、監督とコーチの会見中にあった「相手(関西学院)からの書面での連絡を待っていた」というのも、このことわざの真理からはかけ離れてしまっているようです。待つだけではダメで、自らが動いていかないと得るべきものも得られません。 余談ですが、関西学院大学アメフト部では、数年前から、シーズンインの前に顧問が「新約聖書」を読み上げ、選手がそれに耳をし、心を落ち着かせるというルーティンを取り入れているらしいです。ミッション系の大学特有の習慣、という訳ではなく、選手たちが自ら進んで取り入れようとして始まったことです。

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門外漢

【漢字】門外漢 【読み】もんがいかん 【意味】関わっておらず専門外という意味。 【例文1】一般事務職なので、経理は門外漢だ。 【例文2】法律に関しては門外漢だ。 【例文3】医療に関しては門外漢だ。 私は個人事業主になった時に、同時に青色申告も行うことにしました。 しかし、経理はまったくの門外漢で、1から勉強しなければいけない状態でした。 それでも初心者講習を受け、自分なりに経理の基礎の基礎を勉強していくうちに、なんとなくうっすらと理解できるようになりました。 とは言え、自分の仕事で必要な所だけなので、経理を仕事としてやっていくのはやはり今でも門外漢です。 私は学生時代、商業系の授業は全くありませんでしたし、あまり興味もありませんでした。 事務の仕事をしていたこともありましたが、経理とは程遠い内容でした。 仕事の内容によって、経理作業の内容も変わってきます。 経理作業が難しい場合は、専門の人にやってもらわないとですが、幸い、それほど内容が難しくなかったので、何とか自力でできそうな気がしました。 無事に最初の確定申告を終え、ようやく経理の今後の見通しが立ったような気がします。 とは言え、経理という知識に関しては未だにほとんどわかりません。 私は経理作業が専門ではないですし、そこまで事業を大きくする予定もないので、今まで通りに地道に自分で出来る範囲でやっていこうと思っています。 門外漢のことをやっていくのは最初は大変ですが、思い切って自分でやってみて良かったと思っています。

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門を叩く

【漢字】門を叩く 【読み】もんをたたく 【意味】訪問して弟子入りを頼む。 【例文1】調理師専門学校を出て料亭の門を叩く。 【例文2】相撲部屋の門を叩く。 【例文3】陶芸家の門を叩く。 「門を叩く」とは、弟子入りするとか入門するという意味の言葉です。 現代社会では、事前の書類選考やアポイントメントを通じて面会することがほとんどでいきなり直接訪問することなどまず考えられません。 面接する運びとなっても門柱にあるインターホンで来訪を告げることになるので、ますますもって門を叩くという行動はありえなくなります。 日本国内の門で最も有名そうな東京大学の赤門も、そもそも閉まっていることの方が少ないようですから叩く機会もないでしょう。 開いている門は開きっぱなし閉じている門はその時点で進入お断りが普通なので、やはり門を叩くチャンスはありません。 使われない言葉であれば時の流れによって無情に消え去るだけの運命にあるのでしょうか。 古い物語やドラマであれば実際に門を叩くシーンを見る機会はあります。 門を叩くで思いつきそうなのは、推敲という言葉の成り立ちです。 「僧は推す月下の門」と「僧は敲く(たたく)月下の門」で、どちらにするべきか悩んだというエピソードです。 中国の唐詩四大家の韓愈が敲くの方がよいとしたくらいなので、叙事的な風合いもあるはずです。 普段は使われない敲という難しい字が態々この熟語のためだけに使われるというのも考えてみれば不思議です。 それに対して門を叩くは簡単な字しか使っていませんが、それだけに言い回しとしては使われる頻度は少なくなっていきそうです。 歳を重ねるに連れ、新しい事が苦痛になってきます。携帯電話の機種変更さえ煩わしいです。なんだか新しくてキラキラしたカタカナ文字の素晴らしいアプリやサービスがたくさんあるのに、どうしても覚えようという気になりません。しかし、昔のは簡単だった、これが大変と新しいスマートフォンの愚痴をこぼしていると、友達から「こういうアプリがあるよ」と教えてもらい、使ってみるとなんと便利なことでしょう。 何事も食わず嫌いはいけないと思いました。 若い頃、自分の親や親戚のおじさんが、「若い人のはよく分からなくて」と、最新の機械のことをいろいろ聞いてきて、初めはちょっと得意な気持ちだったのが、だんだん鬱陶しくなってきた気持ちが思い出されます。私の子供はまだ小さいが、大きくなったら、頼りにしすぎて「お母さん、もう自分でやってよね!」と言われるのかしら。 キリスト教の一節に、門をたたきなさいとの文があります。子供の幼稚園がカトリックだったので、実はそこで初めてキリスト教の教義に触れたわけだが、私の勝手なお堅いイメージとは違って、生活に根付いた話も多いのに驚きました。 確か、門を叩きなさい。そうすれば開かれる。という一節でした。文だけ読めば、そりゃそうだろうという感じだが、門はひとりでには開かない。誰かが答えて門を開けてくれるのである。と教えられました。 とりあえず、周りの親切な人にお礼を言って、せっかく開かれた門に頭を下げ、感謝することを、大事にしたいと思います。

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もんどりを打つ

【漢字】もんどりを打つ 【読み】もんどりをうつ 【意味】飛んで回転する。 【例文1】背後から不審者が近寄って来たので、もんどりを打ってやった。 【例文2】車にはねられ大きくもんどりを打つ。 【例文3】返し技でもんどりを打つ。 もんどりを打つってあまり日常では使わない言葉ですね。 もんどりとは魚を捕る道具です。そして、もんどりを打つとは空中を飛び上がって回る様子のことらしいです。 少し前ですが、私の祖母ももんどり打ってひっくり返りました。 病院に行ったところ大事には至りませんでしたが、たんこぶになったそうです。 熱い時期は特にお年寄りは気温を感じるのが鈍くなり、本人が思っている以上に脱水になっていたりして倒れてしまうんですよね。 人が倒れるときってすごい音がするのでびっくりしますね。 ボウリングの玉を落としたような鈍くて大きい音がして、周りの人も焦りますね。 焦りますが、冷静になって頭など打ったり意識がない場合はすぐ救急車に連絡しましょう。 エアコンをつければいいのですが、昔の人はエアコンをつける習慣がないので部屋の中がサウナ状態になっていたりします。 昔と違って、温暖化の影響で35度以上の日が多くなっているので部屋の中でも熱中症になるんですよね。 なので、どんなに元気で体調がいい人でも部屋は涼しくして、こまめに水分補給をしなくちゃだめですね。 それと、人間だけじゃなく犬や猫を飼っている人もペットの熱中症対策も必要ですね。 外出するときでも部屋にペットを置いていく場合はクーラーをつけておいた方がいいし、またアスファルトが熱い時間帯に散歩には行かないなど気をつけてほしいですね。

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問答無用

【漢字】問答無用 【読み】もんどうむよう 【意味】これ以上話しを続けても無駄。 【例文1】問答無用で追い返す。 【例文2】問答無用だ。諦めたまえ。 【例文3】問答無用で追い払う。 夫はサッカー観戦が趣味でよくテレビでサッカー観戦をします。時間が経つにしたがってヒートアップしていき、声援も大きくなり終了後はまるで自分が試合をしたように疲れ果てています。ご贔屓のチームが勝つととても機嫌がよく試合の話をし、負けると不機嫌にビールを飲んでいます。負けた時の不機嫌は一人で解消しているのでそっとしておいて機嫌が治るのを待つようにしています。夫にとっては大切な趣味のようなので私もできる限り協力するようにしています。以前、いつものようにサッカー観戦を終わらせた夫がすごい不機嫌な様子で私を呼びました。私をテレビの前に座らせ、録画してあった今終わったばかりのサッカーの試合の再生を始めました。サッカーに興味のない私はさっぱりわかりませんでしたが、審判がありえない判定をしたらしくそのシーンを再生して見せられました。多くの選手が審判に駆け寄り何かを話していますが、審判は問答無用と言わんばかりの態度で笛を吹いていました。その日は長い時間そのシーンを何度も何度も巻き戻してぶつぶつ言っていました。後で聞くと、それでもその試合に集中していた時間はいい気晴らしになっているということでした。

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門前払い

【漢字】門前払い 【読み】もんぜんばらい 【意味】来訪者と面会もせずに追い返す。 【例文1】面接試験に遅刻して門前払い。 【例文2】場違いで門前払いをくらう。 【例文3】経験者優遇で門前払い。 門前払いというと、勝負もさせてもらえない状況という光景が浮かびますが、まさにそんな体験がありました。 人気アーティストのライブがあるということで、チケットを手に入れたくて申し込もうとした時のことです。そのチケットの入手方法は様々あり、まず先行販売の抽選にエントリーしたものの、落選。その場合、一般発売というチャンスがあります。どうしても行きたかったので、そのチャンスに賭けることにしました。 さて、一般発売でチケットを手に入れるためには、先行と違い抽選ではなく先着という厳しさと戦わなければなりません。いかに早く、申し込むかということが重要なのです。さらには、そのチケットはネットでしか購入できないということでした。つまり、パソコンかスマホでチケットを購入するためのサイトにアクセスし、手続きを進めていく必要があります。 購入画面は、発売時間ぴったりになるとともに入力できる仕組みになっていました。そこで、事前に画面の内容を確認しておき、スムーズに入力できるよう準備もしておきました。ところが…実際に発売時間になり、購入画面を開こうとするとエラーになってしまうのです。何度やり直しても、エラー。そうこうしているうちに、開始から5分が過ぎ、やっとアクセスできたと思ったらチケットは完売していました。完全に門前払いを食らった形です。ショックでした。

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門前の小僧習わぬ経を読む

【漢字】門前の小僧習わぬ経を読む 【読み】もんぜんのこぞうならわぬきょうをよむ 【意味】寺から聞こえてくるお経を門の前で遊んでいる小僧がお経を覚えてしまうことから、いつも見たり聞いたりしていれば自然に身に付くもの。 【例文1】子ども部屋から聞こえてくる音楽が、門前の小僧習わぬ経を読む。 【例文2】棟梁の技術を門前の小僧習わぬ経を読む。 【例文3】母の手料理の味は門前の小僧習わぬ経を読む。 「門前の小僧習わぬ経を読む」とは「身近な環境から影響を受けること」の意味で、いろはかるたの江戸版の中に入っている言葉です。お経と言えば、日本でよく知られているのは般若心経と観音経ではないでしょうか。どちらも宗派を問わずお唱えされますし、写経でも使われています。また、今年のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」でも出家された次郎法師が子ども時代からよく唱えていたのが観音経です。独特の節をつけまるで歌うかのように唱えている姿が印象的でした。その観音経ですが、「法華経」全二十八章のうちの「観世音菩薩普門品」のことで、お釈迦様に観音様をどうしてみんなが信仰するのでしょうかと問答をしているのですが、最後の2節に内容が集約されています。「ゆめゆめ、観世音菩薩に疑いを持つことはないようにしなさい。観世音菩薩のその清らかさ尊さは、人が日々遭遇する苦悩や死の災いなどにおいて、救済のための確かな拠り所となっているのです。観世音菩薩は全ての心の善い性質を備え、慈しみの眼差しで生きとし生けるものを見守っているのですよ。観世音菩薩が福徳を備えていること海の様に無量なのです。だからこそ観世音菩薩を信じ礼拝しなさい」と観音様の無限の愛を信じるようにと説いているのです。ちなみに次郎法師は臨済宗に帰依していますが、ドラマでの節回しはドラマ内だけの演出だそうです。

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門前市を成す

【漢字】門前市を成す 【読み】もんぜんいちをなす 【意味】門の前で市場を開いているかのようににぎわっている様子から、訪れる人が非常に多いこと。 【例文1】ホームパーティが好きで週末は門前市を成す。 【例文2】誰からも好かれている彼女の周りには常に門前市を成す。 「人の家の前で商売しているってこと?迷惑なことのたとえなのかな」などと思うことなかれ、実はこの言葉にはもっといい意味があるのです。 ぞれは、ある人の人徳や能力・権力などを慕って、大勢の人がその人の周りに人だかりを作るというほどの意味なのです。 人の中には、他人をひきつける様々な魅力を持つ人がいます。 人格が非常に高い人もいれば、権力を持ち人を動かす力のある人、様々な知識を得ていて他人に利益をもたらしてくれる人など様々です。 そのように魅力のある人は、自然と人気者になり多くの人を惹き付けるものです。 あなたの周りにも、いろいろな理由で人に認められていたり、常に人気の絶えない人はいませんか? その人を慕って、いつも様々な人が出入りをしている様子こそまさに「門前市を成」している状態なのです。 自分を磨き、能力を高めて、人や社会に貢献できる魅力的な人物になり、大勢の人に慕われる立派な人になりたいものですね。

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門戸を開く

【漢字】門戸を開く 【読み】もんこをひらく 【意味】通商には禁止や制限をなくして受け入れなければいけない。 【例文1】女性進出の門戸を開く。 【例文2】昔に比べて門戸を開く社会になった。 【例文3】門戸を開く社会を作る。 門戸を開くとは制限を設けずに交流、通商、学問などの出入りを自由にすることです。この言葉で思い浮かべるのは幕末に長州藩にあった松下村塾です。江戸時代、商人や農民、町屋の子どもたちは寺子屋で庶民の子弟のための読み書き、算盤を教わりました。武士の子どもは藩校といって藩で設けた学問所で勉強をしました。そこには士農工商という歴然とした身分制度があったからです。長州藩にも明倫館という藩校がありましたが、松下村塾を開塾した玉木文之進は私塾として8畳一間を設けて、身分を問わず学びたい者はだれでも受け入れました。玉木の甥の吉田松陰も松下村塾に入りましたが、玉木の指導は大変厳格で、顔についた蚊を払った松陰少年が殴られたという逸話もあります。玉木の後を久保五郎左衛門が継ぎ、その後吉田松陰が教鞭を取ります。松陰が教えた期間は短いものでしたが、幕末から明治期に日本を動かすほどの塾生を多数輩出したことで松下村塾は知られています。ただ、塾生の多くが幕末の動乱の中で、若くして命を落としたのも事実でした。身分の差を超えて、学びたいという気持ちで集った若者たちが、どれほどの切磋琢磨をして松下村塾で成長したか。藩校で藩主の思いに沿った教育を受けるよりも多くの事を学び、吸収したのだろうと想像されます。玉木「門戸を開いたことで、日本を動かす人材が育ったのです。

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門外不出

【漢字】門外不出 【読み】もんがいふしゅつ 【意味】貴重品は厳重に保管して外に持ち出さない。口外しない。 【例文1】顧客リストを門外不出で管理する。 【例文2】門外不出の資料を閲覧する。 【例文3】門外不出の資料データを紛失する。 他人に貸し出すどころか見せることもしない品物や技術などを、門外不出の品とか技とか言います。 武術であれば一子相伝の究極奥義とかそんな感じのものでしょう。 現在であれば、開発中の社外秘など持ち出し禁止の情報などが該当しそうです。 個人情報保護の観点からすれば、役所や学校にある情報のほとんどは持ち出し禁止に当たりそうですが、外で紛失盗難のニュースはそれなりに発生しています。 システムの構造上の問題もあるのでしょうけれど、情報を取り扱う個々の自覚のなさが致命的な失敗を誘引しているように思えます。 情報処理技術が急速に発達した結果、それを管理するだけの技能というか心構えが全く追いついていません。 メモリ媒体には入った万単位の個人情報を屋外で失くしたり、外部との接続で秘匿すべき情報が流出してしまうのも、結局は注意不足が原因です。 自分の財布や携帯電話などであれば、そのような間抜けな失敗をするでしょうか。 もし財布や携帯すらきちんと管理できないならば、そのような人間には絶対に情報を管理させるべきではありません。 情報を安全に管理しようとするならば、門外不出どころか外部との接触を完全に断ち切った隔離空間でのみ操作閲覧可能にするべきでしょう。

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諸(両)刃の剣

【漢字】諸(両)刃の剣 【読み】もろはのつるぎ 【意味】相手に打撃を与えることができるが、同時に自分にも危険が及ぶリスクもある。 【例文1】ハチの巣を退治したいが、一歩間違えると諸刃の剣だ。 【例文2】サーブはラインギリギリを狙うも諸刃の剣だ。 【例文3】PKでゴール端に蹴るのは諸刃の剣だ。 私はシニアのバドミントンプレーヤーです。 このシニア、という事は今回の事例に非常に関係します。 さて、私は昔からスマッシュの速さでは他の人より速い!と自負しています。 ツボに嵌るとスマッシュを打ち込むだけで勝ち切る事が出来ていました。 しかし、最近はそのスマッシュで悩んでいます、遅くなった訳ではないのですが。 バドミントンにおけるスマッシュというショットは元々シングルでもなかなかノータッチでコートに突き刺さるショットではないものです。確かにプロクラスのプレーヤーなら初速400キロ超えますが、それでもラケットは軽いし面も大きいので勘を駆使したりヤマを張ればそこそこ取れます。 私の悩みはスマッシュを打った後の反応が落ちてレシーブに対して追いつかなくなってしまった事です。 コースを突くと速度が遅くなり、全力だとコースが甘くなる、するとレシーブが、かえるとこっちが反応出来ずにポイントを与える事が度々あります。 シニアになりトシのせいでスマッシュの連打も出来ず、反応も遅くなる。 まさに諸刃の剣になっています。 スマッシュは決まると派手なのでどうしても狙ってしまいますが、諸刃の剣な部分が目立つとどうしてもスマッシュを躊躇して悩んでしまいます。 今、自分はバドミントンプレーヤーとして曲がり角と思います。

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諸肌を脱ぐ

【漢字】諸肌を脱ぐ 【読み】もろはだをぬぐ 【意味】上半身を脱いで全力で物事に挑む様子。 【例文1】諸肌を脱いで勝負に挑む。 【例文2】クラス全員が団結して諸肌を脱ぐ。 【例文3】諸肌を脱いで攻撃する。 たとえば高校の体育祭の練習で、クラス全員が一丸となって競技の練習をしているとします。このように全員で何かをしようとしていると、今までは会話しなかったような相手とでも、仲良くなることがありますね。この例のように『全員が一丸となる』ことでクラスにも団結力も生まれたらば、たとえ体育祭の結果が芳しくないものであったとしても、その後の高校生活も楽しくなることでしょう。 ですが『全員が一丸となる』ことの中には、まだ何か隠れているような気がします。そもそもなぜ全員が一丸となれたのでしょうか。その理由はきっと、クラスメイト1人1人が、諸肌を脱ぐくらいの勢いで練習に取り組んだ結果なのだと思います。練習に対して「なんとなく頑張ろう」ではなくて、「全力で頑張ろう」という気持ちがあったのではないかと考えられます。『全員が一丸となる』には『1人1人の「全力で頑張ろう」』という気持ちが含まれているのではないでしょうか。 もしも複数人で、何か目標に向けて準備や練習などをしているときは、全員の気持ちを「全力で頑張ろう」という方向に持っていくことが大事だと思えます。絵空事のように感じるかもしれませんが、1人1人のモチベーションが高いことに越したことはないのではありませんか。

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諸手を挙げて

【漢字】諸手を挙げて 【読み】もろてをあげて 【意味】好意に受け止める。 【例文1】諸手を挙げてお嫁さん候補に賛成する。 【例文2】父が彼氏を諸手を挙げて気に入る。 【例文3】同僚の誘いに諸手を挙げる。 中学・高校と同じ学校に行った友人がいます。 彼女はとてもかわいい人で、たくさん友人もいる人でした。 私たちが行っていた学校は女子校の中高一貫校だったのでほとんどの人は 顔見知りで、彼女は上級生にも下級生にも人気のあるような人でした。 私はとても平凡でとくに目立ったところもありませんでしたが、彼女と親友だったので自分のことではなくても、みんなから愛される彼女が自慢でした。 大学に進学したときには別々の学校を受験しました。 私は京都の大学に合格したのですが、彼女は残念ながら受験の頃に体調をくずしてしまって、受験した学校のすべてに不合格でした。 一緒に高校を卒業したのですが、大学生になるとそれぞれ生活パターンが違ってきて、なかなか会えなくなりました。 私が大学を卒業するころに彼女は大学を諦めて海外へボランティアに行くようになっていました。 久しぶりに仲の良かった数人で会ってそれぞれの今を話したり、未来の話をしたりしているときに、帰国していた彼女から結婚の話が出ました。 相手は同じようにボランティアをしている人で、外国の人だということでした。 親にも話したところ、反対されるかと思ったら諸手を挙げて賛成してくれたと涙ながらの報告でした。 友人のハッピーな話に私もこころが温かくなりました。 仲の良い友人にお祝い事があれば、自然と喜んでしまうのが人間だと思います。いつもお世話になっている友人に良いことがあると、自分にも良いことがあったかのように共感してしまいますね。しかしその反面、もしかするとその友人に対して嫉妬してしまうこともあるかもしれません。 たとえば懇意にしている友人が結婚するとなったとき、大概の人は喜ぶのではないでしょうか。ですがもし自分が独身であって、結婚に対して強く憧れを抱いているときは、その友人のことを喜ぶ反面「結婚できる友人が羨ましい」と妬みの感情を抱くこともあるでしょう。妬みという感情は一般的には『悪いもの』だとされますが、このような感情が湧き出てしまうのは仕方ありません。むしろ妬みが湧き出てしまった場合は、その感情から目を背けずに「湧き出てきてしまったから受け入れよう」とする方が、ストレスにならないそうです。 もしも他人の幸せに諸手を挙げて喜べる人になれたら、自分も幸せな人生を送れるだろうと考える人もいるかもしれません。ですが他人に対して憎しみや妬みといった感情を抱くこと自体は、悪いことではないのです。誰しも『自分が認めたくない自分』がいることでしょうが、そういった自分自身と向き合って自分の悪いところを受け入れることで、自分をより素晴らしい人間へと変えていけるのではないでしょうか。

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桃栗三年、柿八年

【漢字】桃栗三年、柿八年 【読み】ももくりさんねん、かきはちねん 【意味】何事も成功するまでは時間がかかるもの。 【例文1】お店が繁盛するまで桃栗三年、柿八年だった。 【例文2】桃栗三年、柿八年でも商売がうまくいかない事もある。 【例文3】桃栗三年、柿八年の辛抱だ。 桃栗三年柿八年。桃や栗が実を付けるには三年、柿は八年かかることから何事も実を結ぶ、成就するにはそれなりの年月が必要だという意味です。単 に時間がかかるというだけの意味ではなく「何かを成すには」というところがポイントだと思います。 これに続きを加えたバージョンがたくさんあります。他の果物が実をつけるまでの年月を付け加えたりしているものです。その中でも私のお気に入りは作家の武者小路実篤の作った桃栗三年柿八年の続きです。 「桃栗三年柿八年、達磨は九年、俺は一生」というものです。元々武者小路実篤さんの小説は大好きなのですが、さらにこの人が好きになりました。最後の「俺は一生」自分自身が実るには一生かかる、人生の途中で何かが実るのではなく一生で一つの実だという意味でしょうか。なので人生は生涯修行というか苦行なのかなと思います。大器晩成もなにも一生が一つの作品というとらえ方も出来ます。さすが作家ですね。作家という仕事をされていたからこそ感じ取ることが出来た境地なのかもしれません。 そして何をなすことに一生を費やすのか?3・11が過去のことになろうとしている今自分自身でもう一度考えてみたいと思っています。

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物を言わせる

【漢字】物を言わせる 【読み】ものをいわせる 【意味】威力を発揮させる。 【例文1】金に物を言わせて選挙に出馬する。 【例文2】社長が金に物を言わせて豪遊する。 【例文3】金さえあれば物を言わせる世の中だ。 金に物を言わせて、豪遊して、欲しい物を手に入れて、もっと言えば金に物を言わせて友達までつくってしまう。このような人がいます。言いたいのは金に物を言わせて友達まで作る人はそこに集まる人達は本当の友達だと言えるのでしょうか。金に物を言わせる人は世の中は金に物を言わせれば何でもできると錯覚を起こすまたは、信じているのでしょうか。典型的な例は金に物を言わせた男が表向き美女と見られる女性を物にしてひけらかして町中を歩いています。その男女は果たして幸せ何でしょうか。その女性は男性の本当の内面を見てお付き合いしているのでしょうか。もしその男女が恋愛関係にあるとしたらそれは本当の恋愛何でしょうか。そうとは思いません。恋愛は本当はお金に換えられない物何です。そのような金品が魅力でお付き合いしている男女はいつかは恋愛が破綻するのは目に見えています。内面的にお互いを本当に愛していないからです。その人の人柄とか個性とかルックスとか一緒にいて気が合うとかそういうものが恋愛へと発展していくのではないでしょうか。金に物を言わせて、異性を虜ににするのは結果絶対に上手くいかないと思います。時にはお金も一つの恋愛の手段になることもあるかもしれませんがお金に物を言わす恋愛は本物ではないと思います。

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物を言う

【漢字】物を言う 【読み】ものをいう 【意味】効果を発揮する。 【例文1】経験が物を言う。 【例文2】確かな証拠が物を言う。 【例文3】金が物を言う。 物を言うとは自分の持っている力を発揮することです。 この世の中は金がすべて物を言うのです。 逮捕されても保釈金さえ払えば何もなかったかのように以前の生活に戻れるのです。 金があれば高級レストランに行き、旅行を楽しんで人生謳歌しまくりです。 容姿が悪くとも少しいじればいいじゃないですか。太ってたらお金を払ってジムに通えばいいじゃないですか。 恋人がいなければお金をチラつかせれば言い寄ってくる女性・男性いますよね。良い事づくしで羨ましいです。 え?それでは本物の愛が得られない・結婚できない老後はどうするの?って? そんなの簡単。遺産目あての結婚なんて少なからずいるでしょう。結婚できなくて寂しい老後の面倒は誰が見るの?持っているお金で老人施設に入ることができるじゃないですか。

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物も言いようで角が立つ

【漢字】物も言いようで角が立つ 【読み】ものもいいようでかどがたつ 【意味】大したことない発言でも話し方ひとつで相手の感情を損ねる事がある。 【例文1】大事な取引きがあるので、物も言いようで角が立つような発言は控える。 【例文2】絵文字やスタンプがないと物も言いようで角が立つ傾向にある。 どんなところで暮らしていても、人間関係で悩まされることが一度はあると思います。それに最近はSNSもあるので、遠く離れて暮らしている友人とも、簡単に連絡がとれてしまいますね。特にSNSでは文字でのコミュニケーションとなってしまうため、直接面と向かって話し合うよりも、物も言いようで角が立つ恐れがあります。 SNSで連絡を取り合うときに、スタンプや絵文字などを使う人は、割と感情が読み取りやすいでしょう。ですが中には、スタンプや絵文字などを使わない人もいますね。それはそれで簡潔で読みやすいですが、些細な言葉が相手にとって悪いように解釈されてしまう危険性があります。送信した人はそんなに悪気なく使った言葉であっても、受信した人にとっては物凄く不快に感じるものかもしれません。特に送信した側のメッセージにスタンプや絵文字がない場合は、送信した側の感情が読み取りづらいため、受信した側からすれば余計に冷淡な言葉に見えてしまうかもしれないのです。 SNSを利用する上で、必ずしもスタンプや絵文字を使う必要はないでしょうし、それはそれでその人の個性と言えるでしょう。ですが人間は真向かいで喋っていても物も言いようで角が立つ恐れがあります。SNSでメッセージを送る際は相手に余計な誤解を生まないよう、充分に注意した方が良いかもしれません。

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物は試し

【漢字】物は試し 【読み】ものはためし 【意味】何事もやってみないとわからないので、試してみた方がいい。 【例文1】長崎の夜景が綺麗だと聞いたので、物は試しに彼女と行ってみよう。 【例文2】評判のレストランに物は試しに行ってみよう。 【例文3】物は試しに買ってみる。 タバコをやめたいなと思っている人は多いと思います。 自分もそうでした。でも喫煙中は、タバコが美味しくなくなる、妊娠する等の何かキッカケがないと結局やめれないんだよね。と思い吸い続けていました。 そんな中で、体調を崩してしまいタバコの本数が以前より減り、このままタバコをやめれないかなと、考えました。 食後や仕事終わりなど本当に吸いたい時と、何となくいつも吸ってるタイミングや手持ちぶたさから習慣でタバコを吸う時があることに気づき、習慣で吸うタバコを止めればもっと本数が減ると思いました。 ただ習慣で吸うタバコの代わりになるものがいります。 口さみしいのならガムや飴、歯磨きをする等を思いつきましたが、物足りなくタバコの代わりになるものと検索したところ、電子タバコが見つかりました。 自分の周りに電子タバコを吸っている知人は居なくて味は、煙は、吸いごごちはどんなものだろうと全くわからなく、これで満足するのかと不安もありました。 しかし悩んでいるその間にもタバコは吸っていて、これではいつまでたっても変わらないと思い、物は試しで一度買ってみようと、ネットで口コミをみて良さそうなものを購入しました。 実際使って見ると、煙が出る事で多少満足する事が出来、習慣で吸っているタバコは電子タバコに変える事が出来ました。 ただ外出先や友達の前などでは何だか恥ずかしくカバンから出す事が出来なかったです。 それでも家で電子タバコを吸う事でタバコの本数が減り、本当に吸いたい時のタバコも少しづつ電子タバコに変えていく事でタバコをやめる事ができました。 物は試しと買ってみた電子タバコは自分には合っていたようでとても満足のいく買い物でした。 物は試しで日常生活をちょっと工夫してみるのにはまっています。本当に些細なことでも実際大きな変化を生むこともあり、物は試しにやってみないとわからないことは多いんだなとつくづくその度に思います。 例えばビジネス書でいろいろ出来る仕事術や早起きのすすめなどいろいろありますが、実際に全て試してみるのはとても大変です。小さな子どもならまだしも私たちが大人になるころにははっきり好き嫌いや行動パターンが出来ていて、なかなかそういった慣習を変えることは難しいと思います。しかし私は自己流に勝手に解釈してまず少しだけそういった他人の考えを実践してみます。 忙しいビジネスマンのために早起きして勉強してスキルアップしようといった感じのビジネス本があったとします。たとえ今目指すものがなくても、少しでもそのアイデアがおもしろそうならまず早起きから始めてみます。まず最初はただ眠いだけですが、落ち着いて新聞が読めたり、コーヒーがおかわりできたり、慣れてくるとちょっとこだわった朝食を作ってみよう、夕食のしたごしらえをしておこうなどと結構有効的な時間の使い方が出来るようになってきます。本当にどういった方向へ結果が進んでいくのがわからないといった感じがおもしろいのです。もちろん気に入らなければ止めます。それでいいと思います、本当に「物は試し」なんです。 口で言うのは簡単です。それを実際に行動に移すことは内容にもよりますがなかなか難しいことです。そんなとき私はものは試しと思うようにしています。そう思うことで重い腰をあげる手助けになり、何事にもチャレンジしようとする精神も向上します。彼氏と同棲することも最初はあまり気が進みませんでした。頭で考えているだけだとどうしてもネガティブなことが多く出てきてしまったからです。お金がかかる。毎日一緒にいることで飽きるのではないか。実家暮らしからの同棲だったので家事がちゃんとできるのか不安。生活スタイルは合うのか。などなど悪い思いや考えでなかなか行動に移すことができませんでした。しかし、ここで私はものは試しと思うようにしました。何事も実際やってみなければその善し悪しなんてわからないのです。そう自分を後押しして同棲をはじめることにしました。いざ同棲してみると、はじめこそ生活スタイルや慣れない家事でいっぱいいっぱいになって彼と喧嘩をしてしまったものの、彼の生活スタイルを知ったりして慣れてくると、彼と一緒にいることが居心地良く感じてきました。家事や料理もできるようになってとてもいい経験になりました。ものは試しと思い同棲をしなかったら彼との相性の良さをここまで実感することはできんかったと思います。また、実家を離れて生活することで全てを自分でやらなければならなくなり、家事や料理、世間体や社会のことを体感でき、自分自身成長できる素敵な機会になりました。ものは試しと実際に行なってみることが必ずしもいい結果になるとは限らないと思います。しかし実際行わなければ良いことにも気付くことができないのです。失敗したとしても行なったことで、自分を成長させてくれる経験になると思います。

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物は相談

【漢字】物は相談 【読み】ものはそうだん 【意味】何事も相談してみると、案外良いアイディアが浮かぶもの。 【例文1】お父さんにも一応聞いてよかったわ。物は相談だね。 【例文2】ダメ元で物は相談してみる。 【例文3】物は相談で直談判する。 最近ニュースなどでも待機児童の問題について、よく取り上げられていますが、この問題は深刻で私の職場でも困っている人が多いです。 私の家も子どもが小さい時には、認可保育園に入れなかった為、共働きをするとかえって損をする状態だったので、しばらく妻は子育てに専念していました。 しかし、家を購入したいという目標が私達には合ったので、早く働きたいと妻は考えていました。私の両親の家に遊びに行った時、物は相談で母に子どもを日中預かってくれないか話してみました。 駄目元だったので、良い返事は期待していませんでしたが、相談の結果毎月お小遣い程度を渡す約束で、子どもの面倒を見てくれることになり、物は相談と言いますが、本当だなと実感しました。 子どもは、おばあちゃんが好きなので、預かってもらうとそのまま泊まる事が多く、すっかりおばあちゃんっ子になりました。母と約束したお小遣いを渡そうとしたら、将来困ったら助けてくれと言って受けとらず、その時親のありがたみを知り、母の協力もあって目標を達成できました。 私のように実家が近いと、相談によっては解決の可能性もありますが、遠方だと相談をしても無理なので、早く認可保育園の不足を解消して欲しいと思います。

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物は言いよう

【漢字】物は言いよう 【読み】ものはいいよう 【意味】同じ言葉でも言い方によっては良くも悪くも印象が変わるもの。 【例文1】物は言いようで、表情にも気をつけて商談する。 【例文2】方言だと物は言いようで親しみを感じる。 【例文3】物は言いようで丁重に断りを入れる。 社会には色々な人がいます。誰とでも話ができる人、人に気配りができる人、勉強ができる人、運動ができる人など様々です。もしも友人から知り合いを紹介してもらうとき、『~ができる人』と伝えられたら、その知り合いに好印象を持つことでしょう。ですがこれらは言い方を変えるだけで、途端に悪印象にしてしまう恐れを含有しています。むしろ知り合いの些細な悪いところをオブラートに包むために、わざわざ言い方を変えられている可能性もあります。 たとえば『誰とでも話ができる人』と言っても、もしかすると話しかける相手の都合などお構い無しで、自分勝手に話をしているだけの人かもしれません。また『人に気配りができる人』であっても、他人の目を気にしすぎて余計なお節介までしてしまう人かもしれません。『勉強ができる人』は運動が苦手だから、相対的に勉強が得意に見えるだけかもしれません。そしてこれの反対が『運動ができる人』と言えるでしょう。 言葉は数えきれないほどありますが、人を紹介してもらうときはどのような言葉が使われているかを、少し気にしても良いかもしれませんね。逆に自分から人を紹介するときは、特に言葉を選ばないと、紹介相手に悪印象を与えてしまう可能性もあるでしょう。物は言いようとはよく言ったものですね。

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物の用

【漢字】物の用 【読み】もののよう 【意味】何らかの役。 【例文1】物の用にも立たない男。 【例文2】物の用にもならない。 【例文3】これは物の用になるかもしれない。 「物の用」とは「何かの役」という意味で、使い方も一緒で、「物の用に立たない」などと使います。物の用に立たないと思われたものが、だんだん良い物に代わっていくお話があります。「わらしべ長者」です。貧乏な暮らしに嫌気がさしていた男が、観音様にお願いすると、夢のお告げで「起きて初めに手に触れたものを大事にして旅に出よ」と観音様に示されて、朝、観音堂を出るとすぐにつまづいて、一本のわらしべを手にします。男はこんなものと思いながらもそれを手に歩いていくと、アブが飛んできたので、それを捕まえてわらしべに括りつけて歩いていきます。するとそれを欲しがる子どもがいて、母親からミカンと取り換えてもらえないかと頼まれ交換します。ミカンを手に歩いていると、のどの乾いた商人に反物と交換を頼まれ、反物を死にそうな馬と交換することになります。男が馬に水を飲ませると、馬は元気になり男は馬を連れて歩いていくと、大きな屋敷の前で用事で出かけなくてはならない屋敷の主人から、馬を譲ってくれと頼まれます。もし、3年経っても自分が帰ってこなければ屋敷を譲るからと言われます。男は快諾して、主人は大慌てで出かけていきますが、とうとう帰ってこず、男は立派な屋敷を手にいれます。観音様に祈願したことで成功したのだと思いますが、「物の用」に立たないようなものから幸運を掴む、不思議なおとぎ話です。

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物の見事に

【漢字】物の見事に 【読み】もののみごとに 【意味】完璧に行う。鮮やかな様子。 【例文1】彼女一人で契約成立を物の見事にやってのけた。 【例文2】今日のプレゼンは物の見事だったよ。 【例文3】この企画案は物の見事に上出来だ。 「物の見事に」とは「鮮やかな様子、見事なさま」を言います。日本の誇る世界遺産のひとつ姫路城。兵庫県姫路市にある城は1610年に池田輝政(いけだてるまさ)によって完成されました。輝くような白い天守閣や、土塀の美しさがシラサギの飛び立つ様子を思わせることから白鷺城とも呼ばれています。とはいえ、戦国時代に築かれたお城ですから、戦いに向けての装備もいろいろ残っています。 例えば「石落とし」は城壁を登ってくる敵を攻撃するために石を落として防ぐ穴のことです。角の部分は登りやすいために、角部分には多く作ってあります。また、門構えにも工夫があり、「は」の門は横から狭い坂を登らなくては近づけませんし、「に」の門の内部は地下道になっています。「る」の門は石垣をくりぬいたトンネルのような門になっていて、門の上から鉄砲で敵が狙えるように、穴や小窓が作ってあります。最上階への階段はわざと登りにくいように急な階段してあります。白鷺城の所以となった白い壁は防火上塗られた漆喰の壁の色で、城主の威厳を示す意味もありました。戦時中の空襲や地震、火事などにも耐えてその姿を遺した姫路城。平成21年から始まった大天守の修理は骨組みからやり直し、瓦を葺き替え漆喰を塗り直し、「物の見事に」白鷺城の名に恥じない姿を取り戻しました。これからも世界遺産として大切に守っていかなくてはなりません。

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物の数ではない

【漢字】物の数ではない 【読み】もののかずではない 【意味】特別取り上げる問題でもない。 【例文1】職人歴50年の父に比べれば自分の5つの資格など物の数ではない。 【例文2】不正なんて物の数ではない程行われている。 【例文3】少額のごまかしは物の数ではない。 時代劇などで「物の数ではない」というセリフが使われますが、人数に関わらず相手が弱すぎることを表現しています。 多すぎて数え切れない、たくさんなどの言葉の逆ということでしょう。 取り立てて評価するに値しない問題、戦えば鎧袖一触、とるに足らない相手などを指して物の数ではないとします。 いちおう存在はするけれど数えるにも値しないので、物の数ではないと言うのでしょう。 しかし現実問題として数の力は時として馬鹿になりません。 一人一人の力が弱くても百人集まれば百人力、仮に半分程度の力しか発揮しなくても五十人力になる計算です。 戦術や戦略を駆使しても単純な数の差が覆るような妙案がそう簡単に出てくるものでもありません。 それこそ一騎当千とか万夫不当の武将が実在するならば話は別ですが、ゲームではないのですからそれは無理です。 相対する敵の数もさることながら、味方の数も気になるところでしょう。 味方の数に頼ろうとすると一転して事情は変わってしまいます。 やる気不十分な職務怠慢な味方の数は、それこそ物の数に入れなれない悩みの種になります。 そのくせ給料だけはしっかり要求してくるのですからたちが悪いです。 相手方も同じような状況かもしれませんが、そのような恥ずかしい事情が表立つほどになることはないでしょう。

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物になる

【漢字】物になる 【読み】ものになる 【意味】有能な人物になる。 【例文1】あの青年は育成すれば将来物になる。 【例文2】息子は人脈が厚くて物になるので後継ぎに適任だ。 【例文3】物になると期待する。 どんな仕事でも技術でもそうですが、物になるにはある程度の時間がかかってしまいます。 もしかしたら一生ものにならないかもしれません。 私も長い間追い続けている目標があります。 それがいつ物になるのかはまだわかりません。 しかし、物になることだけに目を向けるのではなく、その過程を楽しんでいきたいと思っています。目標を持つことは大事ですが、それをクリアしてしまうとそこで終ってしまいます。 単に目標をクリアすることだけが目的ならば、地道にコツコツやっていく大切さを失ってしまうかもしれません。 電車に例えるならば、普通車で一駅ずつ確実に進んでいき、その過程も旅として楽しむか新幹線で一気に目的地へ到着するかに似ているかもしれません。 目的地へ到着するという目標は同じですが、行き方が全く違います。 かかる費用も時間も変わってきます。私の場合は普通車で一駅ずつ進んでいるような状態です。 さらに時には故障して停車してしまうこともあるかもしれません。 それでもいつか物になると信じて、目的地に進んでいます。 さらにその過程も楽しみながら、スキルを身につけて行きたいと思っています。 視野を広げてたくさんの景色を見ながら、目的地に進んでいくことの大切さを改めて知ることができました。 何か一つの競技や学問、仕事が物になるのにはどれぐらいの時間が必要なのでしょうか? ベストセラー作家のマルコム・グラッドウェルが言うには1万時間の集中した取り組みが必要だということです。1万時間がどれくらいの時間かというと、毎日3時間取り組んで9年程かかり、毎日10時間取り組んで3年弱かかる計算です。 たとえば、日本の最高学府の東京大学に合格するためには、高校入学から始めたとして1日10時間勉強をすればよいということになります。これは周りの実感としてみてもだいたい合っていると感じますね。それよりも短い時間の勉強で合格できる人は、小学校や中学校時代の蓄積があったりします、結局、みんな集中した1万時間の取り組みを行っているのです。 社会人にとっては1日10時間も何かを究めるために時間をとることはできません。ですが、2時間、3時間ならなんとかして捻り出すことも可能でしょう。10年20年かかるかもしれませんが、22歳入社だと考えて、30代40代に花が開くと考えると悪くない話だとは思いませんか? 蓄積の力は才能の力に勝ります。それは長期スパンでの戦いになる社会人にこそ効いてくるものなのです。一日一日をしっかりと過ごすことを心がけていきましょう。

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物にする

【漢字】物にする 【読み】ものにする 【意味】完成させる。または手に入れる。 【例文1】彼女を絶対物にしてみせる。 【例文2】英会話を物にするため留学する。 【例文3】1ヶ月かけて彼女を物にする。 何かただ与えられた物は自分の手をするすると抜けていってしまうけど、自分の力で手にしたものはきちんと自分の物になると子どもの頃から周りの大人に言われて育ってきました。そのせいか物に執着して集めるといったことには興味がなく、変わりにスキルを身に付けるということに達成感を覚えます。 英会話もそのひとつです。外国人相手にバリバリ交渉したりする営業マンになるとか、世界をまたにかける通訳者とかまでの目標はありませんでしたが、日本語より英語を話す人の方が確実に世界レベルでみたら多いし、海外旅行もしてみたいという単純な理由で始めました。 日本の英語教育だけでは残念ながら英会話を物にすることは余程の個人レベルの努力がなければ辛いものがあります。しかしそれも無駄ではなく、英会話を習い始めてから、この単語は学校で習ったことがある!と思い出し、モノクロだった英単語達が突然に活きた言葉になったのです。 実際に英会話を物にしたと感じたのは海外へ一人旅に出た時でした。飛行機、空港ではもちろんのこと、滞在先でも英語で会話を楽しみました。旅の終わりには向こうから話しかけられるだけでなく、自分から話しかけ世間話を楽しみました。一人と感じない一人旅でした。

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物ともしない

【漢字】物ともしない 【読み】ものともしない 【意味】どんな困難であろうとめげずに突き進む姿勢。 【例文1】たちの悪い連中に物ともしないで立ち向かう勇士。 【例文2】物ともしない姿勢に惚れた。 【例文3】物ともしないで意見する。 将棋界の新しいスターが誕生しました。デビュー戦から連勝記録を伸ばし続けて単独一位まで上り詰めました。しかも中学生14歳というから驚きです。さらにその言動がすごくいい意味で大人びていて、昭和の雰囲気が漂っている感じがします。中学生でこんな難しい言葉を使うのかと感心します。そして一戦ごとに注目が集まり将棋の対局もカメラに囲まれて大変なことになっています。心理戦でもあるのにこんなに外野が騒がしいのはなんか気の毒な気がします。しかし周りの加熱ぶりを物ともしない落ち着きを見せているあたり、彼は本当に大物だなと思います。物ともしないに使われているこの物ってどういう意味でしょうか?物ともしないのなら何にするの?と突っ込みを入れたくなってしまうような慣用句です。しかし金に物言わせる、物は試し、物は言い様、物になるなど非常に抽象的な言葉であるがために慣用句に沢山使われる言葉でもあります。物自体は何の映像も持たない言葉で慣用句の中に入って初めて意味をもつそんな不思議な言葉です。 藤井聡太君の話しに戻すと、彼の将棋の強さはまさに終盤にあります。しかしまだその力を発揮出すまでの対局はないそうで、今までのところ相手を物ともしない圧勝が続いているそうです。それを聞くとこれからがますます楽しみになってきますね。 物ともしないとは困難な状況でも諦めない精神を言います。 私は結構困難な状況に陥るまでの経験はありませんが、やり遂げる自信はないです。苦労することが嫌いですから。 物ともしないというとアスリート選手がそうではないでしょうか。私たちがテレビで見て活躍する選手は当たり前のように強い・すごいとか思っていますけど、よく考えたら一流のアスリートになるまでの道のりは並大抵のことではないでしょう。本当に尊敬します。 私の経験はございませんので知り合いの体験をお話します。 友人は中学を卒業して家業の工務店に就きました。親子2代で現場を飛び回っています。親父さんは昔堅気の人で現場は見て覚えろという人だったらしいです。とはいえ16歳で初めて職に就いた彼も初心者です。何が何だかわからず、見よう手真似でもすぐに習得できる作業ではありません。聞いても教えてくれるわけではないらしく、自分で判断するとミスをして大目玉を食らう毎日にうんざりしていたそうです。しかし、彼はいつか見返してやるとがんばり、1年経ってようやく怒られる事が減ってきたと少し喜んでいました。次は褒めれれたいと意気込んでいます。

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物心が付く

【漢字】物心が付く 【読み】ものごころがつく 【意味】世の中の事や人の気持ちが分かり始める。 【例文1】物心付いた時には母はいなかった。 【例文2】物心が付いた時からボールを蹴っていた。 【例文3】物心が付く頃から絵具を握っていた。 漫画や映画、ドラマや日常会話などで物心が付くという言葉を耳にする事がありますが、一般的な使われ方としては自分が記憶している最も古い記憶の事を指しています。例えば物心が付いた頃には既に好きだったや、物心が付いた時には親の顔を覚えていなかったなどの様な使われ方をしています。 ただ厳密に言えば物心が付くとは記憶の事を意味しているのではなく、正確に言えば自分の行動に思考が加わった状態を意味しています。 まず、基本的に幼児と言う物は感じたことが行動に直結しています。なのでお腹が空いたら泣きますし、おもちゃを取り上げたら怒ると言う行動が見られます。またこの状態の内はほぼ無意識状態にありますので、本人が記憶しているケースも非常に稀になりますし通常は新しい刺激があった時には忘れるようなメカニズムになっています。 なのでこの時には物心が付いているとは言えなくなっていて、この段階を過ぎて感じた事からの行動ではなく思考してからの行動が見られたときに初めて物心が付いたと言えるようになります。 したがって一般的な使われ方とはやや離れていて、最も古い記憶ではなく初めて自分の考えで行動できた時が物心が付くと言う状態を指しています。 4年前の春、都内の公園でお花見をした時、知人が可愛い女の子の赤ん坊を連れて遊びに来てくれました。 おしゃべりは出来ず、表情だけで母親に何かを伝えようとする姿が愛おしく、皆んなを癒してくれました。 そして先月の結婚式で久しぶりに会った知人が連れていた女の子は、あのお花見の時に赤ちゃんだったとは思い出せないほど可愛らしい女の子になっていました。 結婚式だった為、フリフリのドレスに身を包み、頭にはリボンを、口紅をつけてすっかりお姉さんに。 式が始まるまでの間、控え室ではお話もできるようになって、鼻歌を歌いながら踊りながら、ドレスの裾をもってクルクル回って披露してくれました。 物心が付いた少女は、あの赤ん坊だった頃とはまた異なる可愛さで皆んなを楽しませてくれました。 そんな中、他の知人が赤ん坊の女の子を抱っこして式に参列し、控え室に登場。 一気に皆んなの視線が赤ん坊へ集中し、可愛い可愛いのオンパレードに。 ドレス姿の女の子は一言。「私だって可愛いでしょ!見てよ!」の訴えが始まりました。 その時感じたことは物心が付くと女になるということ。 30代目前のギラギラした女性たちが集まる結婚式で、女という生き物について考えさせられた1日でした。

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物がわかる

【漢字】物がわかる 【読み】ものがわかる 【意味】物事の正しい筋道がわかっている。 【例文1】社会人になって物がわかってきた。 【例文2】物がわかる政治をお願いしたい。 【例文3】物がわかる人に相談する。 最近物がわかる人が少なくなったように感じています。 物がわかる、というのは物事の道理や理屈がよくわかる、という意味になります。 うわべだけのことに気にかかりすぎて、物事の本質を読み間違い失敗する。 もっと簡単なことでいうと自分勝手な判断で理屈や道理をすっ飛ばして視野狭窄な人が増えたということです。 最近の日本の政治でも物がわかってないというかはき違えている人が多く感じます。 もちろんもしかしたら私自身もはき違えてるのかもしれませんが、特に思っているのは森友学園問題や加計学園問題などについてです。 結論から言うと私は安部内閣を続投してもらい早く政治を進めてほしいというところです。 野党は上に上げた2つの問題などに注力して内閣を追い落とそうとしていますが、実際に野党がしなければいけないのはほかのことではないかと思うのです。 森友学園のお金が不正なら司法にゆだねればいいし、加計学園にしても同様です。これは政治ではないと思うのです。 もっと施策について議論し、より高尚な政治を行ってほしいと思っています。 目についた袖についた誇りを払うような目先のことしかできない政治家ばかりになってしまいました。 本当に物がわかる人に政治を行ってもらいたいものです。

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物言えば唇寒し秋の風

【漢字】物言えば唇寒し秋の風 【読み】ものいえばくちびるさむしあきのかぜ 【意味】松尾芭蕉の句であり、人の悪口を言えば何となく後味が悪いもので、うっかり喋ってしまったことが原因で災いが起こること。 【例文1】余計なことを言ったばかりに、彼女との関係が物言えば唇寒し秋の風。 【例文2】物言えば唇寒し秋の風で夫婦の仲が悪化した。 【例文3】つならない事を言い、仕事内容が増え、物言えば唇寒し秋の風だ。 人の悪口や批判は言わない方がいいー洋の東西を問わず、人を謗る行為を戒めることわざや格言は昔から多くあります。 「物言えば唇寒し秋の風」も日本では有名ですが、同じように他人を悪くいうことを戒めている有名な言葉です。 人の言葉や行為を悪く言った後は、言った当人はもちろん聞かされたほうも気分が面白くなくなり、うすら寒い気持ちになる・・・転じて、人に関して余計なことを言うと自信に災いを起こす、と言うほどの意味ですが、人の気持ちがピリピリし、どこにいても人の批判や悪口をきかない日はない昨今、全ての人が肝に銘じなければならない言葉だと思います。 最近は特に自分の狭い価値観だけで良く知らない他人を批判したり、決めつけたりする人が本当に多いです。 人の知ることや体験は限られたものであり、この世界について一人の限界ある人間が知ることのできるのは本当に僅かなものでしかありませんが、だからこそ他人をありのままに認め、安易に批判などしない広い心が何よりも大切です。 限られた狭い視野だけでうっかり悪口や批判をしたり、ましてや攻撃などしようものなら、自分の理解できないところから思わぬ形でしっぺ返しを食らうとも限りません。 私はそれほど長く人生を生きてきたわけではありませんが、本当にそうした形で反撃されてひどい目に合っている人を何人も見てきました。 「どうして?理解できない!」「あの人のためを思って言ってやったのに!」・・・反撃された人は決まってこんな風に周囲に漏らすのですが、その人よりほんの少し視野の広い周りの人は「なんでわざわざ悪口なんか言うんだか」と呆れていました。 人の悪口をいう人は自分で禍の種をまくだけでなく、自分の信頼も確実に落とすことになりますので、身に覚えのある人はよくよく自分を戒めた方が良いかもしれません。

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もぬけの殻

【漢字】もぬけの殻 【読み】もぬけのから 【意味】虫が脱皮した後の抜け殻のことで、つまり、逃げ去ったあとの隠れ家をいう。 【例文1】詐欺グループの潜伏先を突き止めて踏み込んだが、すでにもぬけの殻だった。 【例文2】やっと居場所を突き止めたのにもぬけの殻だ。 【例文3】情報が漏れ、犯人のアジトがもぬけの殻。 もぬけの殻とは中身が空っぽであることです。例文として、昔友達が住んでいた家を訪ねたらもぬけの殻だった。怪しい箱を意を決して開けてみたがもぬけの殻だった。というようにあっけらかんとした何もない状態なことがわかります。もぬけの殻のもぬけとは、ヘビやセミなど脱皮をする生き物の事を呼んでいて、人が亡くなった後に意識だけが抜かれていく体の事もいうことがあります。 最初は中身が詰まっていたものに使うことが多く最初から何もないものにはこの言葉は使いません。派生語としてもぬけるという言葉を使うと、外に出る、抜け出すのような解放感溢れる意味となります。もぬけの殻のもぬけは発音していて響きもよいですが、元の意味は抜け殻であることがわかりますね。最初はあったのにのちになってから無いとなると人は誰でも驚きます。その驚きがもぬけの殻には詰まっています。人に向かってその言葉を使うと失礼にあたるのでなるべく建物や場所に言うようにする必要があります。日常生活で使いやすく意味も伝わりやすい的確な言葉です。ヘビやセミの抜け殻を見た時にもその言葉をストレートに使うこともできるので、日本語はとても面白いということも理解できます。

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元も子もない

【漢字】元も子もない 【読み】もともこもない 【意味】元は元金、子は利子のことで投資して利子で儲けるはずが、元金までなくなることから、欲張りすきて利益ばかりか元手も全て失うこと。 【例文1】せっかく治りかけていた風邪なのに、明日プールに行ったら元も子もないよ。 【例文2】今、試合に出てケガが悪化したら元も子もない。 【例文3】そのくらいでやめないと全部磨っては元も子もない。 元も子もないとは、無理をしてなにもかも失うことを意味しています。 この言葉の由来は、 元は「元金」で子は「利」のことを指します。 つまり、投資をすることで利子を得ようとしていたのだが、得るどころか元金も全て失ってしまうことを「元も子もない」と言ったとされています。 そこから一般的に利益などを全部失うたとえとされてきましたが、現在は金銭的なことだけに限らず、無理をしたり欲張りすぎたりすると、全てを失ってしまうということのたとえとして使われています。 勝負事からきてると思っていましたが、金融のことから出来た言葉なんですね。 この例文として、 「このまま無理して病気にでもなったら元も子もないのでここはひとまず休もう。」や 「健康のことを考えて栄養をたくさんとっても肥満になったんじゃ元も子もないないよ。」 「今度の試合は勝ちたいからと言って怪我してたんじゃ元も子もないよ。」 といった時などに使えます。 全てが台無しになるという意味だと思っていましたが、 全てを失ってしまうの方が意味としてはあっているんですね。 元も子もないという意味は何も無い様を表し、すっかりと空っぽになった意味として使われます。例文として、欲しいものをたくさん買って借金までしまうとは元も子もない。家や畑、土地まで手放してしまうとは元も子もない。というようにポジティブな意味合いよりもややネガティブな時に使われがちです。類語として身も蓋もないという言葉が当てはまります。何もかも無くした状態というのは一見悲しく見え、その無くした状態が本人に原因があるのなら周囲は冷ややかな目で見ることがあります。ですが元も子もないという状況はまた一から頑張れるというように着眼点を変えることで、明るい意味にも捉えられます。意味がない、何もない状態は一概に悪いとは言えません。スポーツに対しても使用できる言葉で、毎日遅くまで練習を頑張っていたにもかかわらず、怪我をしてしまって試合に出られないとは、元も子もないというような言葉に対しても使用できます。気をつけた方がいい、反省を今後に活かせるなど、元も子もないの言葉の奥に、そのような言葉も隠されている事もあります。元も子もないという言葉は無の状態を表す事もありますが、決して落ち込む必要もなく、そこから新たなスタートをきれます。

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元の木阿弥

【漢字】元の木阿弥 【読み】もとのもくあみ 【意味】戦国時代の武将筒井順昭が病死した時、敵を欺くため死を隠し、姿が似ていた木阿弥という男を嫡子の順慶が成人するまで寝床に就かせた。成人後、順昭の死を公表したので、木阿弥は用済みで元の身分に戻ったことから、一旦良くなったものが元の状態に戻ること。 【例文1】彼の部屋は片づけても3日で元の木阿弥の繰り返し。 【例文2】プチ整形が数年後は元の木阿弥だ。 【例文3】リバウンンドして元の木阿弥だ。 戦国武将の筒井順慶は織田信長に反旗を翻した松永久秀を、明智光秀と共に倒して大和国を治めることになりますが、後年、明智が本能寺の変を起こすと、明智についたものの形勢の変化に態度を変えて豊臣秀吉側に寝返り所領を守りました。そのため後世では二股をかけた人の呼び名として名前が残っています。その筒井順慶に関わるもう一つの言葉がこの「元の木阿弥」です。彼の父筒井順昭が病に伏し、死を覚悟した時に幼い嫡子順慶の行く末を案じて遺言します。それは自分と声音の似た盲人木阿弥を呼び寄せて、薄暗い寝所に彼を寝かせて息子が大きくなるまで自分の死を隠すというとんでもない策でした。しかし、周囲の者は遺言通りに事を運び、順慶が成長してから順昭の死を公表します。公表したのち、木阿弥は元の市中に放出されます。その有り様から「いったんはよくなったものが再びつまらないものになること、苦心したものが水泡に帰すこと」を「元の木阿弥」というのです。同じ戦国武将の武田信玄も遺言により死後3年経ってから、死が公表されます。 武将も自分の子どもの立場を守るために必死だったことがうかがえます。現代ではそうはいきませんね。

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元のさやに収まる

【漢字】元のさやに収まる 【読み】もとのさやにおさまる 【意味】さやとは刃物をおさめる筒のことで、刀とさやがぴったり同じでないと収まらない。刀とさやを男女にたとえて、一度離れた男女が元の仲に戻った時に使う。 【例文1】あのカップルは何だかんだ言って元のさやに収まる。 【例文2】恋人と仲直りして元のさやに収まる。 【例文3】別れても仲良しだから元のさやに収まるだろう。 元のさやに収まるとはその名の通り刀をさやに収める事で、無事戦いが終わった、修羅場を乗り越えたなど意味が様々に捉えられ、現代では別れた男女が仲直りし再度付き合うことを指します。二人はハッピーエンドとして解釈されることが多く、安心度が高いときにも使用されやすいです。男女の間柄に使うことが多数ですが、ユーモア溢れた例として、友達同士のケンカ、兄弟同士のケンカなど、同性の間柄として使うことでも笑いを誘えます。 付き合った二人が何らかの理由でこじれ、一度は別れてしまったものの、また仲良くなる一連の手段を、勝負事が片付いた武士に見立てています。刀がさやに戻ると安心度が高まり、別れた男女がよりを戻すとまた愛が復活し安心度が高まるところもシンクロしています。元のさやに収まるという言葉も使い勝手が良く、慣れた人だと元サヤという四文字だけで表す略語としても使用します。元のさやに収まったからといってまた別れることも勿論あります。その二人の関係がまた戻った時に再度言葉として使われますが、その場合、皮肉の意味として捉えるのが一般的です。元のさやに収まるは肯定的な言葉で祝福を意味し、どちらかというと前向きな言葉です。

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もっての外

【漢字】もっての外 【読み】もってのほか 【意味】言葉では言い表せないほどひどい状態。 【例文1】授業中お菓子を食べるなんてもっての外。 【例文2】過ちを認めもせず、謝罪がないとはもっての外。 【例文3】結婚相手が無職とはもっての外。 もっての外はあり得ないことに対して使われます。 時代とともに価値観は変わってきているので、一昔前では当たり前だった事が今では、もっての外と取られる事も少なくないようです。 高齢者世代は一昔前の価値観をそのまま今も持ち続けている人がいるようです。 中には若い世代の新しい考え方に柔軟に取り入れて今の考え方の人もいます。 しかし、ジェネレーションギャップが置きやすいのは、昔は当たり前だった行動が、今ではもっての外と捉えられてしまうからだと思います。 さらに今後10年、20年と経っていくうちに、今常識だと思われていることも、もっての外と言われる時代がやってくるでしょう。 私は昭和時代の漫画を読むことがあります。 すると、今の時代とは違った慣習が当たり前に行われていることに気が付きます。 今では絶対にあり得ない、もっての外とも思える行為が普通に日常生活で行われているのをみると、時代は進んでいるのだと感じてしまいます。 特に人間関係では大きな変化があるように思います。 家庭でのあり方や、男女間の価値観、目上の人に対しての振舞いなど、一昔前に比べるとかなり変化してきています。 一昔前に現役時代だった人は、今の考え方が理解できなくても仕方がないのかもしれませんが、それが時代の流れだと思います。

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もったいつける

【漢字】もったいつける 【読み】もったいつける 【意味】重大な発言の前にジラしたり意味深な発言をする。 【例文1】もったい付けないで早く話してくれ。 【例文2】彼女が出来た事をもったい付けて話す。 【例文3】告白の返事にもったいつける。 もったいぶった人、などという表現を使いますが、まさしくもったいをつける人のことを表しています。 いかにもものものしくみせる、とか重々しくみせる、という意味なのですが、これには二通りの解釈が考えられます。 まず、披露するその物(人)の価値が非常に優れていたり、希少であったりする場合、紹介する側からすれば心して拝謁せよという紹介者のその物に対する尊敬や称賛の気持ちがすごく深いという時です。 紹介者からすると、とにかく皆に自分と同じ尊敬の念を持ってもらいたいという気持ちのあらわれなのです。 もう1つは、焦らすことを目的とした場合です。 同じような意味あいで、出し惜しみするという表現がありますが、簡単には披露しないことによって、その物(人)の希少価値を高めることが目的となります。 例えば、商品を売る目的の場合、それがいかに次場らしいものであるか散々アピールして、買い手の創造力を刺激し、期待を持たせながら、現物はなかなか披露せず、交渉しながら値をつり上げることなどもあります。 異性にいい寄られた時、こちらにも好意はあるけれども、相手の気持ちをもっと引き寄せる為に、わざともったいをつけて返事を引き伸ばす、恋愛の常套手段もあります。

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もっけの幸い

【漢字】もっけの幸い 【読み】もっけのさいわい 【意味】もっけとは妖怪のことで、妖怪が出たかのような思いがけない幸運をいう。 【例文1】家族で水族館に出かけたら入場100万人目の来場者で、記念品にホテル宿泊券をいただいてもっけの幸いだ。 【例文2】大好きな芸能人と遭遇してビックリしたが、もっけの幸いだった。 【例文3】もっけの幸いで福引の特賞が当たる。 私が中学生の時、お小遣いとして毎月1000円をもらっていました。中学生の時はお菓子を買ったりゲームセンターでコインゲームで遊んだりカラオケ行ったりでお金を費やしていました。ファッションとゲームが特に好きで、洋服は好きなブランドが当時あったのでそこでしか買わず、そのブランドは結構値段もするので1000円のお小遣いをちょっとずつ貯めたりお年玉を使ったりして買っていました。ゲームに関しては、当時はPS2のソフトが中古で購入できたので安くて面白そうだと思ったソフトを購入して遊んでいました。PS3も中学生の時は流行っていたのでソフトが高くてなかなか買えないということもありましたが、お小遣いで何とかやりくりしていました。 お金の使い道は今みたいに貯金という概念がなかったので欲しいものがあってその分のお金が貯まれば使うという感じだったのでお金は全然持っていませんでした。ある日の朝、私が中学校に通学する時のことでした。いつもは正面玄関から出るのですが、たまたま家の裏から出て行こうとした時にふと下を見ると一万円札が雨で濡れてフニャフニャになっていましたが、落ちていたのです。これはもっけの幸いでした。帰宅したらすぐにドライヤーで乾かしたのを覚えています。今思えば交番に届けるべきでした。軽くねこばばですね。 「もっけの幸い」とは思いがけず手に入った幸運や予想外のラッキーを指す言葉です。「もっけ」とは妖怪のことで平安時代人にとりつき祟りをもたらす死霊や生霊を「物の怪(もののけ)」といわれていてそれが「勿怪(もっけ)」に変化しました。室町時代には妖怪の出現は思いがけないことや「もののけ」は超自然的な畏れの気配という意味から思いがけないことや予期しないことの意味で用いられるようになりました。妖怪が出現するかのように思いもよらないことからの幸せを指して「もっけの幸い」と言われるようになりました。もともとは不吉なことを語源としますが「もっけの幸い」と後ろに「幸い」と続けることで次第に良い意味で用いられるようになりました。「もっけ」は山形県庄内地方の方言では「申し訳ない」「ありがたい」「すみません」という意味で用いられることから思いがけない幸せとする説もあるそうです。また仏教伝来以前、物の怪や怨霊が恐れられていて仏教が物の怪や怨霊を退治してくれるかもしれないとの期待から仏教が日本に広まった経緯があり仏教を広めたい側からは物の怪のおかげで仏教が広まったようなもので物の怪は布教活動に協力してくれたありがたい存在でありそれが「もっけの幸い」の語源となったという説があります。

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餅は餅屋

【漢字】餅は餅屋 【読み】もちはもちや 【意味】餅は餅屋がついた物が美味しい。何事においてもその道の専門家に頼むのが一番良いということ。 【例文1】母の味を真似て作ったけど、やはり餅は餅屋でかなわない。 【例文2】専門分野にお願いした方が失敗がなく餅は餅屋だ。 【例文3】お店の味は出せないところが餅は餅屋だ。 餅は餅屋とは餅屋がついた餅が一番おいしくできるのであり、物事は知識を持った専門に任せるのが一番良いということです。 まさにその通りだと思います。私は家計を預かる主婦の身としていかに安く家族に美味しい物を提供できるか毎日考えています。 初めて目にしたスーパーに売ってあるナンコツのすり身上げがとても家族に好評でした。しかし量が少なくあっという間になくなり次回から2パック買いました。少量の割には1パック350円と少々お高めなので私が作ってみようと思いました。 材料をそろえナンコツを細かくきざむところがまず大変でした。 タイのすり身と刻んだナンコツを塩・コショウをふり混ぜ合わせて油で挙げました。塩・コショウ加減が違ったのか家族の反応はいまいちでした。 週末に出かけたタラコスパゲティを息子が絶賛していたのでそれも挑戦しました。自分で食べていても美味しいけど何かが違う・・お店の味のように素人にはマネできないところがやはり餅は餅屋ですね。これから改良を重ねて母は頑張ります。

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持ちつ持たれつ

【漢字】持ちつ持たれつ 【読み】もちつもたれつ 【意味】お互いに助けあう。 【例文1】お隣さんとは持ちつ持たれつの関係を保っている。 【例文2】持ちつ持たれつで次はこちら側が譲歩する。 【例文3】人間関係は持ちつ持たれつが大切。 仕事を進めたりする場合、自分だけで手に負えない場合が沢山あります。 例えば、調整ごとについては、人間関係がうまく行っていなければ、スムーズな調整もできません。ここで効いてくるのが、人間関係における持ちつ持たれつの関係であると思います。 例えば、「あの時に仕事の調整ごとや手伝いをしてもらい、助かったので、今回はこちらが譲歩します」というような良い人間関係が構築できていれば、仕事のパートナーとしては最高であると思います。 ただ、最近はこの人間関係の希薄さによる弊害が出てきています。特に成果主義がポリシーとなっている企業においてはこの希薄さにより、組織の形成が取れない状況になっています。 この組織が形成出来ない結果、組織による労務管理もできず、さらに責任のなすりつけ合いなど、意味のないことが繰り返し行われています。 このような複雑な人間関係になる前に、持ちつ持たれつの精神が少しでもあれば、人間関係も改善し、仕事もやりやすくなり、労働時間の短縮にもつながるのではないでしょうか。 このように、持ちつ持たれつの精神は今後の日本における重要なキーワードと考えます。

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持ち出しになる

【漢字】持ち出しになる 【読み】もちだしになる 【意味】不足分を自費で払う。 【例文1】大雨で中止になった夏祭りの材料が持ち出しになる。 【例文2】持ち出しした飲食代を気前よく友人が払う。 【例文3】持ち出しになり金欠になる。 本をアマゾンで電子書籍として売りに出すための手続き方法や費用、売上を増大させる方法の書かれた電子書籍をキンドルアンリミテッドで何冊か読んでみました。 アドバイスをよく読み返しているうちに素人でもわりと思いつくのではと実行に不安が生じました。知人に頼んで自分の電子書籍を買ってくれるようお願いする、SNSで宣伝する、コメントを書いてもらうなど、コメントがないと売上が上がらないというのはそうなのかなと思いました。 YouTubeの教育の動画でグッド評価と視聴者の質問コメントなどが活発に書き込まれ、チャンネル登録数が1万を超えていても動画再生数がかなり低いのを見てきたので、アマゾンでの書籍販売とYouTubeを同じように考えてはいけないのかもしれません。 もしも、自腹を切って、本の価格以上の金額を支払ってダウンロード購入してくれる人を沢山募集して感想コメントを書いて貰っても結局マイナーな本だとYouTubeのコメントとチャンネル登録数だけが多い動画の二の舞になり、サクラに払う本代が持ち出しになるだけのような気がします。 SNSでの宣伝で、フォロワーを増やす方法が書籍に書いてあったので、高いお金を払いオークションで大量フォロワー付きのアカウントを買うなどという危険行為に走らなくてもよさそうなのは安心しましたが、無理矢理水増ししたフォロワーじゃ売上に繋げるのは困難に違いないと私は感じました。

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藻くずとなる

【漢字】藻くずとなる 【読み】もくずとなる 【意味】海藻が細かく砕けた藻くずになるというたとえから、人が海の事故で亡くなって遺体も上がらないこと。 【例文1】海戦で多くの兵士が藻くずとなった。 【例文2】藻くずとなっていった方を思うと無念でならない。 【例文3】藻くずとなる慰霊碑を建てる。 「藻くずとなる」の藻くずとは海の中の藻などのくずのことで「海で死ぬことのたとえ」として使われます。「藻くず」という言葉は平安時代に書かれた源氏物語の第29帖「行幸」に「あまも尋ねぬ藻くずとぞ見し」と出てきますが、中世、鎌倉時代中期に出来上がった平家物語では安徳天皇のご入水の場面で「いまだ十歳の内にして、底の水屑とならせ給う(いまだ10歳にもならずに、海の底の水屑(みくず)となりました。)」と藻屑ではなく、水屑という言葉になっています。水屑も水の中の屑のことですし「水屑となる」は「水死する」の意味ですからどちらも同じ意味なのですが。 さらに時代は下って、江戸時代前期までに作られたポルトガル語と日本語の辞書、日葡辞書には「海底の藻屑となる」が載っています。日葡辞書は文語を訳すことが目的で作られ、京ことばを標準語として書かれています。平家物語は京都を拠点に琵琶法師が語りながら各地を回り語り継がれた軍記物語で、のちに読み本として成立した経緯があります。その読み本も昔はコピー機などありませんから、紙に筆で写本して回し読みします。つまり写し間違うことは多々あったと考えられます。今、伝わっている平家物語の記述が水屑になっているとはいえ、藻屑と書いたものが他に出回った可能性は否定できません。まあその真偽は別にしても、江戸時代には水屑よりも藻屑のほうが一般的に使われていたことを日葡辞書は教えてくれます。

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孟母断機の教え

【漢字】孟母断機の教え 【読み】もうぼだんきのおしえ 【意味】孟子が学業を途中で投げ出したた時、孟母が織り機を断つという事は生計を立てられないというたとえから、どんな状況でもやり遂げなければならないという教え。 【例文1】経営難に陥っているが、孟母断機の教えでふんばるしかない。 【例文2】両親の教育方針は孟母断機の教えだ。 【例文3】諦めない精神が身に付いたのは、孟母断機の教えのお蔭だ。 孟母断機の教えとは、中国の「烈女伝」にある故事からできた言葉です。 孟子が学業が嫌になって、勉強を投げ出して家に帰ってきたことがあります。孟子の母は尋ねました。 「勉強は、どこまで進みましたか」孟子は「進んでいない」と答えました。 そのとき、孟子の母は、織っていた布を断ち切って、 「あなたが、学業を途中で止めてしまうのは、私がこの織物を断ち切ってしまうようなもので生計が立ちません。」と言いました。孟子はその母の言葉改心してに勉学に励み、やがて、すばらしい儒学者になりました。 私も苦労することが嫌でいやな事があるとすぐに投げ出して別のことに取り掛かっている学生時代を過ごしてきました。しかし、わたしのために女手ひとつで育ててくれた母は受験でイライラしたり不安な私を怒りもせずに、塾の送迎や合宿台を工面してくれました。母はここ何年も洋服など買っておりません。化粧なんて100均も口紅を使っています。私は恩返しのためにも公立に行って母の負担を減らしてバイトもしてお化粧品を買ってやりたいです。 「孟母断機の教え」(もうぼだんきのおしえ)は、中国の「烈女伝」にある故事からできた言葉です。 中国の戦国時代の思想家、孟子の名はご存じの方が多いと思います。孟子がまだ学生だったころ、学業が嫌になって、勉強を投げ出して家に帰ってきたことがあります。母は尋ねました。「勉強は、どこまで進みましたか」孟子は答えます。「相変わらずです」 そのとき、孟子の母親は、織っていた布を刀で断ち切って、「あなたが、学業を途中で止めてしまうのは、私がこの織物を断ち切ってしまうようなものなのです」と言ったのです。孟子はその母の姿に恐れをなし、その後は熱心に勉学に励み、やがて、すばらしい儒学者になりました。 布を織るのは、時間も手間もかかるものです。織っていた布を断ち切ると、それまでかけた時間と労力をムダにしてしまいます。そればかりでなく、布を織って生活している人がそれを止めると、生活できなくなります。いったん学業を志した者が学業を放棄するというのは、それほど、してはいけない選択なのだ、と孟子の母は我が子に教えたのです。 孟子の母といえば「孟母三遷の教え」も有名です。孟子の教育のために環境を改善しようと引っ越しをした故事です。口でああしなさい、こうしなさいと言うのは簡単です。でも孟子の母は、まず行いました。犠牲を払って、引っ越しをし織っている布を切りました。大変な負担をモノともせず、本気で子と向き合う母の姿が、孟子を変え後世に名を残す偉人としました。親の真剣さは、子に伝わるのです。 今の時代の私たちは、どうでしょうか。子に真剣な姿を見せているでしょうか。反省させられます。 孟母断機の教えとは、一度始めたことを、途中で投げ出してはいけないという教えです。孟母は孟子(中国戦国時代の儒学者)の母親であり、子供の教育にいろいろと考え実践した人です。この教えもそのひとつです。このことわざが生まれてのは、孟子が学問の修業半ばにして帰省したとき、孟子の母親は織りかけの機(はた=織機のことです)の糸を断ち切って学問の半ばで放棄することは、この糸を切ったように、今までの努力が無駄になってしまうのですよ、と戒めたということからです。つまり、ずっと織り続けていた織物の糸を切ってしまうと、それまで織ってきた物が駄目になってしまいます。学問も途中で投げ出してしまっては、今まで一生懸命頑張ってきたこと全てが無駄になってしますという教えなのです。 例えば、このように使います。司法試験を受けた人が不合格になってしましました。そのとき、友人がこう言ったのです。「一度くらい不合格だったからと言って、あきらめては駄目だよ。孟母断機の教えというだろう。もう一度挑戦してみようよ」。こんな、使い方をします。最近の人たちはあきらめるのが早いような気がします。孟母断機の教えをちょっと実践してみませんか。きっと自分に自信が持てるようになりますよ。

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孟母三遷の教え

【漢字】孟母三遷の教え 【読み】もうぼさんせんのおしえ 【意味】孟子の母は、墓場のそばに住んでいたが、孟子が葬式の真似ばかりするので、市場近くに引っ越した。ところが今度はが商人の駆け引きを真似るので、学校の近くに引っ越した。すると礼儀作法を真似るようになったので、これこそ教育に最適の場所だと定住したというたとえから教育は環境に影響されるという意味。 【例文1】幼いうちから目に焼き付けてほしくて孟母三遷というから東大に近くに引っ越しを決めた。 【例文2】孟母三遷の教えというから偏差値が高い学校を目指すには幼稚舎からお受験をする。 【例文3】孟母三遷の教えで都会に引っ越す。 「孟母三遷の教え」というのは漢文で孟子について教わった人なら、必ずと言っていいほど教わった言葉でしょう。この言葉は孟子という儒学者の母の行動に由来しています。孟子の母は始め墓場の傍に家を構えていました。幼い孟子はお葬式ごっこや死体を埋葬する真似をして遊んでいました。彼女は子どもの教育上良くないと考え、市場の近くに引っ越しました。すると孟子は市場の商人の掛け値販売の真似をして遊ぶようになりました。彼女はそれを見てまた、子どもの教育上良くないと考え、学校の近くに引っ越しました。すると孟子は祭礼の儀式を真似したり、礼儀作法の真似をしたりして遊ぶようになりました。それを見て彼女はこの場所こそ、我が子の教育のためになり安心して暮らせると、落ち着きました。そしてこの教育熱心な母の導きもあって、孟子は後世にまで名を遺すほどの賢人、儒学者になったのです。孟子の母は環境が子の養育にどれほどの影響があるかを、身を以て知ったのでしょう。この言葉が孟子の教えとともに後世まで伝わった理由は、やはり「環境がヒトを作る」ということが不変の定理だからではないでしょうか。現代でも子どもを育てるなら自然豊かな田舎でとか、学校や塾の選択肢が多い都市部でとか、考えるのは当然です。但し、住環境だけでなく、家庭環境もこどもの養育に相応しいものに整えることも大切だと「孟母三遷」は教えているのではなしでしょうか。

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