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手作り言葉辞典について

手作り言葉辞典では、ユーザーが疑問に思って検索してきそうな言葉の を載せています。 検索して調べてきそうな言葉とは、ここでは「ことわざ」「慣用句」「四字熟語」「故事成語」の4つになります。 それぞれの意味は下記の通りです。 古くから言い伝えられてきた、教訓または風刺の意味を含んだ短い言葉。生活体験から きた社会常識を示すものが多い。 二語以上の単語が結合して、それ全体である特定の意味を表すもの。 漢字4字で構成される熟語。 故事をもとにしてできた言葉。特に、中国の故事からできた語。 Powered by 手作り言葉辞典

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燎原の火

【漢字】燎原の火 【読み】りょうげんのひ 【意味】野原に火がつくと激しく燃え移るたとえからものすごい勢いで広がっていく様子。 【例文】SNS投稿が燎原の火のごとく拡散される。 「燎原の火」とは「りょうげんのひ」と読みます。 この燎原の火 の燎原とは野原が燃えることを意味します。 野原というのは、山火事などでみられるようにあっという間に火がつくと燃え広がってしまいますよね。 そしてその火を消すことはなかなかできません。 それなので「燎原の火 」ということわざはあっという間に広がってしまって、もう、どうしようもできないような状況をさします。 山火事の広がりもなかなか防ぎようがありませんが、インターネットを使ったSNSも似たようなところがありますよね。 一旦広がってしまえば、誰にも防ぎようがないという状態になってしまいますね。 ですから、インターネットのSNSは偽情報や、悪い情報を流さないようにそして、いい加減な情報を信じないようによいことだけに使っていきたいものですね。 日大のアメリカンフットボール部の監督による不祥事は正に燎原の火 のごとく、日本中、そして、世界にも広まりましたね。 こちらは、悪しき習慣をSNSの力で防ぐことに繋がりなかなかよかったと思います。 悪の力を蔓延させないようにネットを利用するのはよいと思いました。 山火事を連想すると燎原の火 は怖いことですが、悪が世の中に広がって隠しようがないというような状況は歓迎すべきものだなあと思いました。 アメリカでは大人気のアメリカンフットボールですが、日本では野球ほどには認知も人気も無いスポーツです。 そのアメリカンフットボールが、ここ数か月の間にテレビをはじめとして、多くのマスコミに登場するようになっています。 それは輝かしい試合中継というのではなく、ほんの数秒の選手の動きを映したものでした。 その選手は日本大学の選手で、マスコミで取り上げられるようになった動きは、対戦相手の関西学院大学の選手に対して危険なタックルをしているというもの。 そのタックルのせいで、関西学院大学の選手は大怪我をしました。 まだ試合が始まったばかりという場面での不自然なタックルは、実は日大の監督による指示だったことがだんだん判明するにつれ、アメリカンフットボール自体を知らなかったり、興味が無かったという人も注目するようになりました。 やがて、監督は日大の人事も握る人物で、誰もそのワンマンな言動に抗うことができないという日大の体制も、連日マスコミで解説されるようになります。 教育の最高学府としての大学で、教職員組合までもが反旗を翻すようになった今、社会では偏狭な日大の体質を改めよという声が「燎原の火」のように広がり続けています。

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輪廻転生

【漢字】輪廻転生 【読み】りんねてんしょう 【意味】車輪がグルグル回転し続けるように、肉体が滅びても別の肉体に宿って再生するという考え方をいう。 【例文1】もし輪廻転生ができるとすれば、家族に宿って見守りたい。 【例文2】孫が祖父の生まれ変わりで輪廻転生だ。 【例文3】輪廻転生でご先祖様が見守る。 亡くなったおじいさんの時代、戦争があっておじいさんも親や兄弟と離れ離れになって厳しかったんだと思います。しかしそれでも幸せを手に入れる為に諦めなかったおじいさんはいい人だと思います。書道も10段でした。おじいさんの影響で小学校の時、剣道と書道をしていました。書道も才能があると書道教室で言われていましたが、剣道の方に無理やり押し入れられてしまったんです。たぶんそのときおじいさんは、くやしかったんだろうと思います。 なぜかというと戦争という経験を思いおこさせるのが剣道で、おじいさんは海軍自衛隊のときに剣道をしていた経験がありました。 ただおじいさんは剣道じゃなくて書道を選んだんです。その歴史から僕とおじいさんには接点があって、性格も同じような性格でした。頑固でケチなのも僕も同じだと思います。 それが僕の場合たまたま剣道を選んでしまいました。おじいさんは、たぶん少し反対だったと思います。警察官になるのが反対だったんだと思います。僕の都合、上争うことは嫌いなので戦争や暴力は反対だったと思うんです。 それだからたぶん最後に僕に言いたかったことは戦争は絶対してはいけないということと剣道より仕事を見つけなさい。ということだったと思います。

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綸言汗のごとし

【漢字】綸言汗のごとし 【読み】りんげんあせのごとし 【意味】出た汗は体内に戻せない。つまり一度口にした言葉は取り消すことはできない。 【例文1】綸言汗のごとしで約束は守る。 【例文2】綸言汗のごとしで契約を交わす。 【例文3】綸言汗のごとしだと結婚の約束を誓う。 「綸言汗のごとし」・・・ちょっと聞きなれない言葉かもしれませんが、お聞きになったことのある人もいるかと思います。 この言葉は、もともとは中国で生まれたものです。 中国において絶対権力の座にあった皇帝は、その存在や人格を神格化され、いわば「無謬の存在」として人々に崇められてきました。 そんな髪にも等しい皇帝の発する言葉は、たとえそれが間違いであっても、全て「正しいこと」として下位の者は受け止めなければならなかったのです。 無謬の存在が発した完璧な言葉ですから、誰かが間違いに気付いたとしてもそれを指摘したり、糺そうとすることは許されませんでした。 つまり、いったん皇帝が発した言葉というものは、それが人体から噴き出す汗のように、体に戻すことができない(訂正も取り消しもできない)という意味なのです。 また、いったん口に出した言葉は取り消すことができないので、間違ったこと、不正なことを皇帝は言ってはならない、という意味も含んでいるようです。 かつての皇帝の権力の大きさが偲ばれますが、人の上に立つ者の責任を戒める意味をも含んでおり、現代においても、会社などの組織で上位の立場にある人に参考にしてほしい言葉ではあります。

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臨機応変

【漢字】臨機応変 【読み】りんきおうへん 【意味】その場その場に応じた適切な対応をする。 【例文1】彼女は賢く何でも臨機応変に対応してくれる。 【例文2】臨機応変にクレーム処理をする。 【例文3】看護士が臨機応変に処置する。 私は飲食店で働いており、お客様と直接関わることがとても多いです。上司からマニュアルはあるけれども何事も臨機応変に対応してほしいと教えられました。例えば、ドリンクを飲んでいた時お客様がうっかりこぼしてしまったらさっとおしぼりとナプキンを持っていくのが臨機応変です。お客様がこのパスタを食べたいけどもこの料理の中にアレルギーのものが入っているから食べられないとおっしゃった時などにアレルギーのものは抜いて何か別の食材で代用して提供する、これも臨機応変になります。飲食店に限らず、生きていたら予期せぬことに直面することがたくさんあります。その時いかに早く別の行動をするかが重要になってきます。ただ、別の行動をすれば良いというわけでもありません。それが適切で合理的であるかが大切なのです。 臨機応変は頭の回転の速さで決まってくると思います。苦手な人でも頭の中でシュミレーションすることで鍛えられてくると思います。こういうことが起こったらこういう対応ができるなと思いつくもの何パターンも頭の中で考えてみるのです。これを電車の中や暇なときやってみるのです。そうすることでいざ目の前で起こったときもとっさに体が反応してくれると思います。

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理路整然

【漢字】理路整然 【読み】りろせいぜん 【意味】話の筋道が正しい。 【例文1】彼女が言っている事は理路整然である。 【例文2】体験談が理路整然で納得する。 【例文3】理路整然で話す。 このあいだ同窓会がありまして、参加してきました。 友達が幹事のひとりだったので、彼女への義理という気持ちが大きかったです。けれど恩師にも挨拶できたし、他の同級生達とも話ができたので行ってよかったです。 この同窓会の発起人は友達ではなく他のクラスの人です。友達はその人に誘われて幹事のひとりになったようです。 この同窓会ではネットが活用されました。まず専用サイトが作られて、そこに登録した同窓生達が書き込みをできるようになっています。 当日前の参加者集めに活用したのがSNS、正確にはフェイスブックです。 ネットで参加者を集める役割を担ったのが私の友達でした。どういうふうにしたかというと、最初はひたすら同窓生の名前で検索を続け、見つけたフェイスブックが同窓生本人だとわかったら、コメント欄やメッセージに同窓会のお知らせを書き込むそうです。 こういう作業は、親しかった人ならともかくそうでもない人にはしづらいと思うのですが、友達はそういうことは平気みたいで臆することなくお知らせを書き込んでいたそうです。〇人に連絡するのに〇日かかったとか、その他の幹事としてのめんどうな作業について冷静に話す彼女に”理路整然”という言葉が浮かびました。彼女は本業の仕事もできる人なのだろうなと思います。

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両雄並び立たず

【漢字】両雄並び立たず 【読み】りょうゆうならびたたず 【意味】同じ実力を持つ者同士でも競うと必ずどちらかが負ける。 【例文1】試合では必ず勝ち負けが決まる。両雄並び立たずだ。 【例文2】両雄並び立たずで延長戦にまでもつれ込む戦いだった。 【例文3】必ずどちらかが表彰台に立つ。両雄並び立たず。 頂点は常にただ一人、ならば世の英雄は必ず争い相手を滅ぼそうとするものなのでしょうか。 個人であれ国であれ、利害関係があれば少なからず序列というものが発生します。 相互に助け合い協調関係にあることなど稀で、そのような関係には他の外敵の存在が必要となります。 どれほど小さな組織であっても、まとめ役となるトップは存在します。 民主的にすべて話し合いで解決しようとしても長時間の議論で解決できない問題というものはあるものです。 結局は多数をまとめ上げるだけの力をもった方が少数派の意見を駆逐することになるでしょう。 結局のところ、頂点を奪取する人間は最大派閥のトップの場合がほとんどです。 全ての民衆の過半数の支持を得るなどという直接民主主義が実施されるのは規模が小さい社会での話なのです。 小規模な集団の賛同を集めた中規模の組織を従えた大組織をいくつも束ねてやっと足がかりが見えてくる程度でしょうか。 そのように考えると封建時代の社会構造と何が違うのか、民主主義といいながら数の暴力に終始する多数決でしかないのかと疑問に思うこともあります。 それでも中心となる人物が存在しない混沌とした状況よりは余程マシなのかもしれません。 歴史を勉強していると、国同士の争いが多々あることがよく分かります。争いの理由も多種多様で、自国の領土を広げたいとか、他国の行動に反感を覚えたなど、色々あります。ただその中でも興味深いと思ったのが『A国を倒すためにB国とC国が手を組んだ』のに、今度は『B国を倒すためにC国とD国が手を組んだ』といったことです。なぜ以前に手を結んだ国を倒そうとするのでしょうか。答えは簡単で『利害が一致しているから、争いの時だけ手を組む』のです。 先の例でいうと、B国の勢力だけでA国に戦いを挑んでも負けてしまいます。もちろんC国がA国を倒そうとしても負けてしまいます。そこでA国に反感を抱いているB国とC国が力をあわせることでA国を倒す、ということなのです。しかしA国がいなくなって、次にB国がC国にとって余計な存在になってしまうと、C国はB国を倒そうとします。しかしC国の勢力だけではB国に勝てそうではない場合、C国はB国を倒そうとしている国を探します。こうしてD国もB国が嫌だと知ったときに、C国とD国が手を結んでB国を倒す、という流れが生まれるのです。 このようにして幾度となく国同士が手を組んで戦い続けるのが、地球上の歴史にあります。もしもある2つの国があったとして、どちらの国にも立派な軍師や英雄がいたとしても、両雄並び立たずというように、争いが起きてどちらかの国が倒れてしまうのではないでしょうか。

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良薬は口に苦し

【漢字】良薬は口に苦し 【読み】りょうやくはくちににがし 【意味】良い薬ほど苦いが効き目はある。忠告は聞きづらいが、聞いておいた方がいい。 【例文1】父は子どもに厳しいが、良薬は口に苦しだ。 【例文2】年長者の言う事は手間が掛かるが良薬は口に苦しだ。 【例文3】練習はきついが監督の言う事は良薬は口に苦しだ。 よく聞く「良薬は口に苦し」という言葉ですが、具体的にはどういう意味でしょうか。効果の高い薬は苦くて飲み辛いというストレートな意味もありますが、自分にとって大切な忠告は受け入れがたい、または素直に聞くのが難しい内容である事も意味します。耳が痛いような内容だけどごもっとも、と感じた事は一度はあるのではないでしょうか。「孔子家語」にて「良薬は口に苦けれども病に利あり。忠言は耳に逆らえども行いに利あり」と記されているのも有名です。 使い方としては「先生の言った事を無視している彼は良薬は口に苦しという事をまだわかっていないのです」「先輩の指導は言葉も内容も厳しかったけれど、良薬は口に苦しという事でここは堪えて言う通りにします」などです。因みに他の国でも似た言葉があります。モンゴルでは「良薬は口に苦いが病に効く。誠実な言葉は耳遠いが物事に効く」というものがあります。内容は全く同じですね。ヨーロッパでは「口に苦いが胃に甘い」などもあるそうです。 耳に痛い事を上司や両親、先輩から言われてしまった場合は、カッとしたりへそを曲げたりしないで「良薬は口に苦し」という言葉を思い出して受け入れる事で結果的には美味しい将来が待っているかもしれません。

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両刃の剣

【漢字】両刃の剣 【読み】りょうばのつるぎ 【意味】両刃は背と腹の両方に刃がついている剣のことで、使い方を間違えると使用者自身も危険をもたらすことになる。相手に打撃を与えられるが、同時に自分にも損害が及ぶ。 【例文1】内部告発すると両刃の剣でパワハラを受けるリスクもある。 【例文2】いじめを止めたいが、両刃の剣で自分も標的にならないか不安になる。 【例文3】両刃の剣とならないか迷いが生じる。 学校や職場にいる人の何気ない行いを見て、なんとなく嫌に感じてしまうことはあるでしょう。他人に対して嫌なところがあると感じるのは仕方ありません。しかしだからといって、すぐに相手を注意するのはいったん控えるのが良いかもしれません。 仮の話ですが、自分が食べたお菓子のゴミを捨てないで、ずっとデスクに置いている人がいるとしましょう。それを見たあなたが、いつまでもお菓子のゴミを捨てないのは嫌だなと感じて、相手に「ゴミはちゃんとゴミ箱に捨てた方が良い」と注意するとします。ですがもしあなたのデスクに、お菓子のゴミではなくても消しゴムの消しカスがずっと溜まっているとしたら、周りの人からすればあなたも『ゴミをゴミ箱に捨てない人』だと思われる可能性があります。場合によっては他の人から「あなたも早く消しカスをゴミ箱に捨てた方が良い」と言われることだってあるかもしれません。 社会の中で生活していれば、誰かしらに対して嫌だと感じるところはあるでしょう。しかし他人に注意することが両刃の剣にならないよう、自分にも悪いところが無いかどうかを顧みて、他人ではなくまずは自分を改善していく方が良いのではないでしょうか。自分の人生をより良いものにしていく方が、きっと今後の人生も豊かなものになると思われます。 私たちが日常利用している電気を発電する方法は、いくつもあります。 その中で原子力発電は、諸刃の剣的な発電方法であると言えます。 原子力発電は、低いコストで大きな電力を発電する事が出来るので、とても効率が良い発電方法であります。 高いコストを掛けて発電すれば、電気料金が高くなり、私たち消費者にとっては打撃となります。 それを回避してくれているのが、原子力発電であると言えるのです。 また原子力発電は火力発電と違って、地球温暖化に繋がる二酸化炭素を発生しません。 ですから原子力発電は、地球の環境にも優しいと言えるのです。 電化製品の増加や電気自動車の登場によって、電力の需要は今後増していく事は間違いありません。 なので低コストで大電力を発電出来る原子力発電は、必要不可欠であると言えるのです。 ただ原子力発電は良い事ばかりではなく、悪い所もあるので、多くの人から敬遠されてしまっているのです。 原子力発電は生物全般にとって有害となる、放射線を発生させてしまいます。 先頃発生した大地震による原子力発電所の被災に因って、私たちは原子力発電の放射線の恐ろしさをまざまざと刻み込まれました。 原子力発電は電力需要増加の今後に必要な物ではありますが、諸刃の剣的な原子力発電が、今後生き残れるかは微妙な所です。

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遼東の豕

【漢字】遼東の豕 【読み】りょうとうのいのこ 【意味】遼東では珍しかった白頭の豚でも他の地域ではありふれていることから、世間知らずなために、本人が得意としていても他人から見れば、大したことないという意味。 【例文1】彼は得意気に自慢しているようだが、遼東の豕でそんなの誰でも知ってるよ。 【例文2】英検を自慢されても帰国子女には遼東の豕だ。 【例文3】ネットばかりの情報で遼東の豕だ。 中国の遼東地方で珍しい頭の白い豚が生まれたので献上しようとしたところ他の地域では珍しくないことに旅の途中で気が付いて引き返した故事からできた言葉です。 「遼東の豕」は世間知らずのうぬぼれやを指す言葉らしいですが、使われてる場面に遭遇したことがありません。 似たような言葉に「夜郎自大」という言葉もありますが、これもあまり使われません。 使われなさ過ぎて野郎自大と間違った字が使われても指摘する人すら稀なくらいです。 察するに、遼東といえば遼東半島が日清戦争で割譲されたり返還したりした以外にはほとんど馴染みのない地域なのも関係しているのでしょう。 加えて豕(いのこ)という字もあまり使う機会もなく、「豚のことだよね」くらいの認識しかありません。 遠まわしに小難しい故事を引き合いに出してまで世間知らずなことを批判しても、批判された人より批判した人の方のイメージが悪くなりそうです。 口に出してまで非難するべきでもないので、精々が本人がいないところでやれやれと嘆息するくらいで十分なのでしょう。 それに同様の言葉で「井の中の蛙」の方が日本人にとっては余程なじみが深いように思えます。 とりあえず豚といえばスーパーでパック詰めにされている食肉くらいしか知らない私にとっては、近所の田んぼでゲコゲコ鳴いているカエルのほうが身近な存在です。

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両天秤に掛ける

【漢字】両天秤に掛ける 【読み】りょうてんびんにかける 【意味】二つのものの優劣・損得を比較する。 【例文1】学生の彼と社会人の彼を両天秤に掛ける。 【例文2】二人の年収を両天秤に掛ける。 【例文3】両天秤に掛けた結果、彼に決めた。 両天秤に掛けるとはどちらかを失っても困らないように二つのものを維持することです。要するにキープですね。 こちらの男性に振られてもあと一人の男性がまだ残っているみたいなシチュエーションを想像します。両天秤に掛けられてたくはないものですね。 しかし、実際の私も実は高校生の時に両天秤に掛けた事がありました。気になる2人に告白され、まだ彼らのことを知りつくしてなかった私はお友達からという結論を出しました。だってどちらも失いたくはなかったし、かといってお互いのこともよくわからなかったのですからどちらと付き合おうか迷ったんですもん。周りにはばれないように連絡先だけを交換して1ヶ月くらいやり取りを続けました。結果、趣味が合う彼に決めました。もう一人の彼からのお誘いはお断りしました。話してみないとわからないものです。 大学受験では両天秤ということもあり得ますね。第一志望、第二志望というランクをつけてオーキャンで判断すると思われます。 就職先の判断材料は年収と休みがしっかりとれるかがです。 将来のパートナーとなる人は年収ももちろん大事ですが、子どもが好きかどうか、転勤・同居の可能性があるかないかを両天秤に掛けます。

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両手に花

【漢字】両手に花 【読み】りょうてにはな 【意味】女性に囲まれている男性や両隣に綺麗な女性がいることをいう。 【例文1】君の席は両手に花で羨ましいな。 【例文2】女友達がたくさんいて両手に花だ。 【例文3】いつも女性に囲まれて両手に花だな。 「両手に花」は、男性が女性を多く連れている様子を表すことわざです。最近では逆に女性が男性に対して「両手に花」を使うことをご存じでしょうか。 主に、サブカルチャー方面で使用される印象があり、女性が可愛らしい男の子たちに使う言葉だったり、逆ハーレムという言葉も生まれました。過去に比べえ男性が女性に対して意味が通じる言葉たちが、現代では女性が男性に対して発する言葉でも、意味が通じる世の中になりつつあると思います。 言葉の変化は面白いもので、その時代の特色を表すことがあります。ジェンダー関連のあらゆる事柄が、近い将来にまったく違う意味となる場合もあるかもしれません。私は「両手に花」や「逆ハーレム」などに、女性が社会に着々と進出していることが反映していると証だと思いますよ。これは素晴らしいことで、まだまだ日本では女性の社会進出が遅れていますが、女性が権力を持つことで繁栄した国家も存在するので、男女平等の意味も込めて言葉が変化しているのでしょう。 さらに時代が進めば、女性を軽視する意味合いを持つことわざも意味が逆転するかもしれませんね。これからも時代によって言葉が変化する様子に注目していきたいです。

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梁上の君子

【漢字】梁上の君子 【読み】りょうじょうのくんし 【意味】泥棒のこと。陳寔(ちんしょく)の家の梁の上に泥棒が潜んでいた。泥棒に気付き子を呼び寄せ、人は最初から悪人だったわけではない。悪い習慣に染まる事で、ついに悪人となってしまったのだと話す。梁に隠れている泥棒は驚いて降りてきて謝ったとされる。中国の後漢書より。 【例文1】梁上の君子だが、反省の色が見られる。 【例文2】お金のために梁上の君子から抜け出せなかった。 【例文3】幼いうちから梁上の君子を諭す。 梁上の君子とは、泥棒のことを言います。後漢書の陳寔(ちんしょく)伝にある故事からそう言うようになりました。一人の泥棒が、陳寔の家に忍び込みました。泥棒は梁の上に潜み家人が寝静まるのを待ったいました。陳寔がこれに気づき、起き上がり身支度を整えて家族を呼びました。そして、こう諭したと言います。 「人間は努力を惜しんではいけません。生まれつきの悪人というのはおりません。悪い習慣などに染まることで悪人になってしまうのです。その、梁の上にいる君子が良い例です。」すると、泥棒は梁から折り、謝罪しました。陳寔は「おまえは悪人には見えません。私の言葉を心にとめ、善人になりなさい。このようなことをしたのは貧しさのせいでしょう」と言い、絹を与えたというのです。それ以来、この地域では盗みは起こらなかったと言います。 ここで言う君子とは徳を備えた人の事を言います。つまり、そのような徳のある人物でも、悪い習慣に染まると悪人になるのだということを家人に、特に子ども達に教えたのです。俗に、朱に交われば赤くなると言いますが、同じような意味です。人間は極力悪い物には近づかない方が良いということでしょう。確かに、友人や周囲の環境で人間性が変わってしまうことは多々あります。えっ、あの人が…と言うことは良くあることです。毎日の生活に十分注意して暮らさなくてはいけないのでしょう。 我が子には立派な人間になってほしい、と考える親は多いことでしょう。少なくとも「梁上の君子にしたい」と思う親はいないのではないでしょうか。『梁上の君子』という単語は聞き慣れないものですが、つまるところ『泥棒』や『盗賊』といった意味になります。ちなみに語源の由来は、後漢書という歴史書に書かれた、梁の上に隠れた盗賊からきています。 では自分の子を梁上の君子、つまり泥棒にさせないためにはどのようにすれば良いでしょうか。 物凄く簡単な方法であれば、子供が欲しがる物を全て買い与えることかもしれません。買い与え続ければ、子供の物欲は常に満たされたままになるため、他人の物を欲しがる気持ちが芽生えなくなるかもしれないからです。 ですがそもそも経済的に裕福な家でなければ、そんなにずっと物を買えませんし、たとえ買えたとしても子供は「親は自分の言うことを何でも聞いてくれる」と感じて、自己中心的な人間に育ってしまうでしょう。 だからといって反対に、子供に何も与えないままですと、まだ理性が未発達の子供であれば、自身の物欲を満たすために、他人の物を盗んでしまう恐れもあると考えられます。ではどうすれば良いでしょうか。 現実的に考えてみれば、その子供が欲しがっている物を、何かの記念日に与えるのが良いと思われます。要するに、その子供の誕生日やクリスマスといった行事ですね。こうして『大事な日に何が欲しいか』を考える機会をつくることで、『本当に欲しい物は何か』ということを考えさせることが出来るのではないでしょうか。そして子供自身で導き出した『本当に欲しい物』を親が与えることで、子供は物欲が満たされ、他人の物に手を出そうという気持ちも薄らぐのではないかと思われます。

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良妻賢母

【漢字】良妻賢母 【読み】りょうさいけんぼ 【意味】夫には良き妻であり、子どもには賢い母である女性をいう。 【例文1】母は仕事に育児に家事に、良妻賢母の鏡である。 【例文2】良妻賢母だと褒められた。 【例文3】母のような良妻賢母を目指す。 一昔前までは女性は良妻賢母が理想像のように思われてきました。 実際に良妻賢母を絵に描いたような人もいました。 しかし、近年女性の社会進出が当たり前になってきて、性別に関係なく社会で活躍できる時代になってきました。 昔のように女性は結婚をして家を守るという認識が年々薄れてきているような気がします。 とは言え、それでも今でも女性の家庭における役割は重要です。 必ずしも良妻賢母な女性が幸せになるとも限らないようです。 良妻賢母を目指して努力することも大切ですが、自分を見失わないでいたいものです。 いつも誰かのためだけに働いていると、いつのまにか自分がなくなっていってしまいます。 理想とされる自分と本当の自分のギャップが大きくなればなるほど、そこには大きなストレスが生じてしまいます。 確かに良妻賢母を目指すことは決して悪い事ではないと思いますし、むしろ目標にしていきたいです。 しかし、その分、自分らしさを失わないために、きちんと自分の時間を設けて、自分に厳しすぎないようにすることも大切だと思います。 良妻賢母というのは、夫のため女としてよき妻となり子どもを産んで賢い母となるのがよいことだ、という考え方です。 明治時代から日本にある考え方で、私達も理想の女性像としてすんなりと受け入れてしまっています。 しかし、良妻賢母というのは本当によい考え方なのでしょうか? 私達は何かを見落としていないでしょうか? まず、子どもを産むことができない女性がいるということを考えに入れていません。子どもを産むことができなければ、良妻にはなれても賢母になることはできないのです。 このあたりに、女性の存在意義は子どもを産むことなのだという戦前の家の価値観や男尊女卑の価値観が透けてみえてきます。 結局のところ良妻賢母というのは、男性社会における都合のよい女性のことを指しているのです。 ですが、なかなかこのことは世の中に浸透していません。教育の場ですら安易に良妻賢母の素晴らしさを語ってしまっている現状があります。もちろん、保守論壇は良妻賢母の価値観を推し進め、批判する者はフェミニストで左翼だというようなわけのわからない批判を浴びせてくるのです。 また、ドラマなどでも良妻賢母型の物語は視聴者に好まれます。NHKの朝ドラなども知らず知らずのうちにそうした価値観を肯定し、強化しています。良妻賢母という価値観は日本社会に深く根付いてしまっている問題なのです。 夫に優しく、子に教育熱心で賢い妻。つまり、良妻賢母だと自分も大変になるので、その言葉に適していない妻で良かったと思います。 自分自身がしっかりしていれば、妻へ求める理想も高くなると思いますが、自分がいい加減で人に対しては厳しくするのは間違いだと思っています。 私の妻は、帰宅が遅いと昔から先に寝て、夕食の支度はしていない日も多々あります。しかし、洗濯や掃除、育児などはしっかりやっているので、私に対して待遇が悪くても良しとしています。 もし、良妻賢母だったら妻に負担がかかり、人間なのでストレスが溜まり、いつか爆発する可能性があると思います。世の中には、様々な家庭があるので、良妻賢母の妻を持つ旦那さんもいると思いますが、普通が一番だと思います。 ただ、主人には厳しく子どもに教育熱心で、家計の切り盛りは賢くやっているので、ある意味私の妻は優秀なのかなと思います。 時代劇で好きなシリーズがあって、主人公の奥方は正に良妻賢母で、その時代劇を見る度に憧れる夫婦関係です。もしかすると、昔の理想的な妻とされるのが良妻賢母であって、現代の理想とされる妻は、また違った形なのかも知れません。共働きの家庭も増えているので、夫婦間の関係にも変化があると思います。

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粒粒辛苦

【漢字】粒粒辛苦 【読み】りゅうりゅうしんく 【意味】米の一粒一粒は、農民の苦労と努力の結果が実ったものである。コツコツ努力と苦労を重ねることが大事という教え。 【例文1】粒粒辛苦で採れた家庭菜園料理を味わう。 【例文2】粒粒辛苦しながら改良を重ねてようやく完熟した。 【例文3】粒粒辛苦で獲れたお米を残さずいただく。 私がまだ夫と結婚する前の話なのですが、夫が一人暮らしする部屋に遊びに行き二人でご飯を食べる機会があり、そのときに夫から「米粒残すな!」と叱られたことがあったのです。 私の中では残さずキレイに食べたつもりだったのですが、夫に言われ良く見てみると、確かに二つほど米粒が茶碗に残っていました。 それまでそんなの声を荒げる夫ではなかったので、ビックリしてしまいましたが、確かに大事なことですよね。 子どものころにも、親や担任の先生などに食べ物の大切さを教わり、農家の人がどれだけ粒粒辛苦しながら米をつくっているのかを分かっていたつもりだったのですが、恥ずかしながら大人になるにつれて忘れかけていたのかもしれません。 夫の両親は戦争中に生まれているため、「食べ物を大切にしなくてはならない」といった気持ちが強く、私よりも食べ物に対して厳しく躾けられたのと、いつも米を親戚からいただいているということで、余計に米粒を残す行為が許せなかったのだと思います。 そんな夫と結婚して三年になりますが、毎日米粒を残さず食べるのはもちろんのこと、おにぎりやチャーハンを作るときなど、米粒があちこちに散らばってしまう場合にも必死に米を拾って食べながら料理しています(笑)。

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柳眉を逆立てる

【漢字】柳眉を逆立てる 【読み】りゅうびをさかだてる 【意味】柳眉とは柳の葉のように細くてきれいな眉のことで、美人が眉を吊り上げて怒る様子をいう。 【例文1】柳眉を逆立ててはせっかくの美人が台無しだ。 【例文2】デートに遅れてばかりで柳眉を逆立てる。 【例文3】柳眉を逆立てても様になる。 「柳眉を逆立てる」の「柳眉」とは柳の葉のように美しい眉、美人の眉のことで、「柳眉を逆立てる」とは「美人が眉をつり上げて怒る様子」を表します。皆さまよくご存じだとは思いますが、美人の条件とは時代によって移り変わるものです。柳眉が美人の象徴であった時代もあれば、蛾眉といって蛾の触覚のような形の太めの眉が美人の象徴とされた時代もあるのです。世にいう世界三大美人とは、世界史上において特に美人とされる三女性のことですが、これは日本人がランキングをつけたものだと考えられています。ちなみにクレオパトラ7世(プトレマイオス朝エジプトの女王)、楊貴妃(唐玄宗の皇妃)、小野小町(平安時代前期の歌人)がその三人です。実際に容貌が美しかったかどうかよりも伝承されている逸話から、女性としての魅力によって歴史に名を残しているというのが、三人の共通点です。フランスの哲学者パスカルは「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら(短かったら)歴史が変わっていた」と評しました。彼女のパートナーが続けて政治の権力を握ったことから出た言葉なのです。楊貴妃は玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたと伝えられていて、傾国の美女と言われています。小野小町に至っては、絶世の美女とされてはいるものの、素顔についての記述はありませんが、とにかく才媛であったことは間違いありません。彼女は文学という観点で歴史を変えたのです。

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竜頭蛇尾

【漢字】竜頭蛇尾 【読み】りゅうとうだび 【意味】始めは威勢がよく、終わりが物足りない・ふるわない。 【例文1】新番組は竜頭蛇尾だった。 【例文2】張り切って山に登ったが、竜頭蛇尾だ。 【例文3】マラソンでスタートだけが竜頭蛇尾だ。 「竜頭蛇尾」という言葉がありますよね。意味は、最初は全力ですが、終盤は疲れてへこたれてしまうことです。これは人間の人生に照らし合わせてみると、非常に考えさせられます。 人は若いうちにやりたいことして、仕事でも精力的に活動すると思います。若いから無茶が許される訳ではありませんが、多くの方が老後のことを考えずに行き当たりばったりで、行動しているもをよく見かけます。 そうした無茶な人たちに考えてほしいことは、これからの人生がとても長いということです。若さのあまり一度きりの過ちで、その後の長い人生にシコリを残してしまっては、楽しい生活は夢に終わってしまうでしょう。 マラソンランナーのように、最初から全速力のままでゴールを目指すことが難しいように、ペース配分を考えて計画的に走ることが大切です。人生もマラソンランナーと同じだと私は考えていますし、人生の例えでマラソンが出てくることにも納得ですね。 もちろん最初から全力で行くことも重要で、全力だから理解できる事柄も存在すると思います。しかし全力だといつかは疲れて動けなくなってしまい、肝心な時に力を発揮できず後悔してしまうことがあります。何事も力配分が大切ですね。 竜頭蛇尾とは、初めは勢いよく、他に魅せるように行くが、終わりのほうになれば、振るわなくなることと言う意味合いがあります。 語源や由来としては、頭は竜のように立派なのに、尾は蛇のようにか細くて、前と後とのつりあいがとれないとされています。 使い方としましては、「彼はマラソンで走り出しこそ早かったが、最後はバテて竜頭蛇尾だったな」等として使います。 あまりいい意味での四字熟語ではありませんので、目上の方や先輩、上司の方にはむやみに使わない方がいいです。また、仕事場に関しましても、むやみに覚えたからといって使ってはいけない四字熟語です。ですが、自分に対しては使いやすい四字熟語でもあります。 使い方として「新入社員の私は、どんな仕事でも誰よりも率先してやりますが、最後になると力不足になりがちで竜頭蛇尾の傾向がありますので最初のうちは、お力添えをお願い致します。」ともなれば、新入社員としての期待も存分に頂けると思います。 まさに、誰がいったのか言葉とは言い方次第とはよくいったものだと思います。 このように、偉そうに文章を書かして頂いた私ですが、私もどうしてか最後になりますとまとめ方が、いまいちまとまらなくなります。 私こそ文章力は竜頭蛇尾にありけりですね。 私はトレーニングジム歴6年になります。いつかはジムの経営をすることも夢の一つであるほどジム自体にも興味があります。 現在は24時間制のジムに週4~5日通っており、トレーニング内容はランニングマシーンと腹筋、ストレッチの流れです。 ランニングマシーンは横並びなので、同列で走っている方の顔は見ませんが、ランニングの音や姿勢である程度様子を伺うことができます。 様々なランナーがいますが、まだ慣れていない方の中に最初から猛スピードで走り出し、徐々にランニングマシーンに足を取られ、そのままひっくり返ってしまうのではないかと心配になる方を横目で感じます。そして案の定、数分後にはフルマラソンを走った人のようにハアハア息が乱れ、トレー二ングを終了してしまいます。いうまでもなく有酸素運動の意味がない状態であり、そんな竜頭蛇尾なランナーを見るたびに私は考えることがあります。それは「人生も同じだ」ということ。一生懸命に走ることは人生においても大切なことではあるが、走り続けることが出来なければゴールにたどり着くことが出来ない。何のために走り、どこまで走りたいのか、そしてそのためにはどんなペースで戦うべきか。そんな戦略が必要である。 ジムでたまに発見する竜頭蛇尾なランナーから、人生を走ることについて学ばせて頂いています。

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竜虎相うつ

【漢字】竜虎相搏つ 【読み】りゅうこあいうつ 【意味】竜と虎は勇敢を象徴する存在であることから、強豪同士が勝負すること。 【例文1】竜虎相搏つ強豪校揃いだ。 【例文2】どこが優勝してもおかしくない竜虎相搏つ試合だ。 【例文3】竜虎相搏つ見応えのある試合だった。 竜虎相搏つとは、例えば優れた実力を持ったヒーローや力を持ったもの同士が戦い勝敗を争うことの例えです。 いわばライバル関係といったほうが分かりやすいでしょうか。 では実際、 竜虎相搏つの例えを見ていきましょう。 まず字の如く竜と虎の戦いですよね。 別に野球の中日ドラゴンズと阪神タイガースのことではないですよ。 竜はいわば天の最強であり、虎は地の最強といわれてます。 このような竜と虎が向き合う絵柄は、骨董品の掛け軸などによく描かれているのを見かけますよね。 まさに実力伯仲といった感じです。 漫画で例えるなら人気アニメ、ドラゴンボールの16巻にも「竜虎相討つ」というタイトルが使われています。 この当事の孫悟空とピッコロは、まさに力の拮抗しあったもの同士で最大のライバルでしたからね。 さて、実際は竜と虎ってどちらが強いのでしょうか。 これは様々な考察があるのですが、若干、竜のほうに分があると言われております。 例えばキバやツメにとる物理攻撃力は互角としても、防御力の差はかなり大きいと考えます。 また竜が何らかの特殊攻撃もできるとしたら、攻撃と防御の両面で龍が有利と推測されます。 しかしライバルは永遠に互角で勝負してほしいですね。 ことわざの意味や、その考察をしてみるのも面白いものです。

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流言飛(蜚)語

【漢字】流言飛(蜚)語 【読み】りゅうげんひご 【意味】根拠のない噂が広まること。 【例文1】彼が行方不明だと流言飛語が飛び交っている。 【例文2】ネットの情報は流言飛語だ。 【例文3】流言飛語の噂を信じる。 流言飛語という四字熟語、あまり耳にはしないですよね。しかし難しい言葉ではなく意味はいたってシンプルです。デタラメな噂や、どこから湧いたのかわからないようなデマ情報を指します。 流言・飛語共に根も葉もない誤った噂のことです。飛語は蜚語とも書きます。インターネットが普及してからというもの、欲しい情報は検索すればすぐに手に入る便利な世の中になりましたが、ネットの世界も流言飛語が飛び交う世界だといえますよね。そしてそれはもちろんネットの中だけにとどまらず、現実である日々の中においても、です。 流言飛語にも色々と種類はあるでしょうが、どうすればこのようなデマに惑わされずに済むでしょうか。私なりに考えてみたのですが、いくつか対策はあるように思えます。 まず、常に冷静な視点を持つこと。人間は焦ってパニックになるとろくなことがありません。視野狭窄に陥ってしまうと、正しい判断ができずに流言飛語にも引っかかるかも知れません。 次に、確認を怠らないこと。どんなことでも自分の目で確かめるまでは安易に信用しない癖でもつけておけば流言飛語なんて気にもならなくなることでしょう。 現代社会を生き抜く上で、流言飛語をかわすスキルは必須とも言えます。

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溜飲が下がる

【漢字】溜飲が下がる 【読み】りゅういんがさがる 【意味】不満やねたみがなくなり、スッキリした気持ちになる。 【例文1】彼に言いたい事をぶつけたら、溜飲が下がった。 【例文2】嫌味な先輩が退職して溜飲が下がる。 【例文3】恋人と仲直りして溜飲が下がる。 溜飲が下がるとは、心配事やわだかまりが解消されて、気持ちが楽になることです。溜飲というのは、食べ物が胃に溜まり、酸っぱい胃液がのどに上がってくることを言います。 心配事などがあると、食欲も無くなり、なんとなく胃に食べ物が溜まっているような感じになることがあります。それを、言うことわざです。 例えばこんな使い方をします。いつも負けてばかりの相手に、今回の試合では勝ててやっと溜飲を下げたような気分だ、などと使います。テニスで錦織圭が ジョコビッチに勝ったような場面を想像すると良いでしょう。会社で仕事をするOLさんたちなら、こんな風に使うかも知れません。あの彼女、いつも自分がもてて私たちが駄目だと下に見ているけれど、この間あのイケメンに振られたのですって、などと使うことでしょう。 このことわざの使い方は、自分がいつもはちょっと下であるけれど、今回はそれ以上になれて、関係ある人にちょっと勝った気分ということなのです。人生の出来事全てに勝ち負けを付けるわけではありませんが、いつも良い思いをするという人は少なからずいます。そんな人よりも、少しでも上にいけたなら、それは溜飲を下げたことになるのです。ほんの少しの努力で溜飲は下げられるのかもしれません。 別に間違ったことをしたわけではない、叱られるようなことをした覚えもない、 だけど、なぜか叱られ、厳しいことを言われたときって、心の中がモヤモヤしますよね。 実力拮抗の相手と競っていた時、その相手が何かの都合でリタイアしたとします。 例え不戦勝であっても、勝ちは勝ち、喜ぶべきことなのかもしれませんが、 どうにも素直に喜ぶことができず、モヤモヤして憂鬱な気持ちになります。 叱られた原因や、厳しいことを言われた理由を知り、納得できればスッキリします。 同じ相手と実際に競って、改めて勝利を勝ち取ったときにも、晴れやかな気分になります。 このモヤモヤとした憂鬱を解消し、スッキリ晴れやかな気分になることを、溜飲が下がると表現します。 溜飲が下がる、この表現にある溜飲とは、 消化不良のときに喉元に上がってくる、すっぱい胃液のことです。 口から出そうで出ない、この胃液が上がってくる状態は、とっても気持ちが悪いですよね。 この溜飲が、喉元に上がってくることなく、胃まで下がってくれた時のホッとする安心感、 溜飲が下がるという表現は、この状態が由来になっています。 とはいっても、実際にこの表現を使用することは、私はほとんどありません。 「スッキリした」「気が晴れた」という言葉を使っています。 溜飲が下がる、などと言ったら「どういう意味?」と聞き返されてしまいそうです。 「溜飲が下がる」「溜飲を下げる」に使われている「溜飲」とは江戸時代の医学用語です。消化不良で胃から酸っぱい液が喉元まで逆流してきたり胸焼けがして何かが食堂に詰まった感じがすることがあります。それを「溜飲」と言います。「溜飲」が胃に下がるとモヤモヤとした不快感が消えスッキリと爽やかな気分になります。その状態になることを「溜飲が下がる」または「溜飲を下げる」と言います。では「溜飲が下がる」と「溜飲を下げる」は何が違うんでしょう。「溜飲が下がる」は不平・不満・恨みなどが消えてスッキリとした気分になることを言います。「溜飲を下げる」は不平・不満・恨みなどを解消して気分をスッキリさせることを言います。「溜飲が下がる」は自分の行動によって不平・不満・恨みが消えるのではなく自分以外の力が働くことによって不平・不満・恨みが解消されることのようです。反対に「溜飲を下げる」は自分の行動によって不平・不満・恨みを解消することのようです。どちらかというと「溜飲を下げる」の方が「してやったり!!」とスッキリしそうなのは私の意地が悪いからなのでしょうか。自分で不平・不満・恨みを解消するイメージからか平成19年に文化庁が発表した「国語に関する意識調査」では26.1%の人が「溜飲を晴らす」という間違った使い方をしていたそうです。

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利に走る

【漢字】利に走る 【読み】りにはしる 【意味】利益ばかり追い求める。 【例文1】利に走る商売では失敗する。 【例文2】利に走って信用を失う。 【例文3】利に走るから客が来ない。 企業は利益追求のために事業を効率よく実施します。 しかしながら、利に走るとロクなことがありません。 例えば、今の東芝における粉飾決算は、まさに私利私欲に走ってしまった結果、視野が狭くなり、自分の足元も見られなくなってしまいました。 未だに会社の決算を出すことができないのは、異常事態です。 このように利に走るとロクなことがありません。 普段の私生活においても、利に走ると色々変なことがあります。 例えば、資格の勉強がその一つです。 資格報奨金のために学習をし、資格を取ったのはいいもの、活かす場所がなければ意味がありません。 お金ばかりとらわれて、自分の時間を無駄にしてしまうのは、なんとも残念なことであると思います。 もう一つ、利に走るケースとしては、会社の交際費を私的に流用するケースです。 ある県の議員にもありましたが、バレてしまうと職を失うこともありますが、何と言っても家族に迷惑がかかります。 信頼している家族に迷惑をかけることは決してやってはならないと思います。 このように利に走ると自分の名誉も、家族の信頼も失うことになり、人生が変わってしまうこともあります。 まずは自分の足元を見て、行動をしていくことが必要ですし、そうしていると必然的に利が付いてきます。

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理にかなう

【漢字】理にかなう 【読み】りにかなう 【意味】現実に言葉と実行が一致している。 【例文1】彼女が言ってる事は理にかなっているよね。 【例文2】責任を持って理に叶う行動を取る。 【例文3】理にかなうと納得する。 理にかなう、という言葉を日常で耳にすることがありますよね。 今回はこの、理にかなった行動について考えていきたいと思います。 まず、天気の良い日なんかは洗濯物を干すと早く乾かすことができますよね。 布団などを干しても太陽の光をたっぷりとに吸収するので、その日の夜は気持ち良く眠ることができます。 逆に雨など天気の悪い日だと、そういったことは不可能です。しかしその代わりに畑や植物に水をまいたりする手間が省けますよね。 このような一見、当たり前に見える行動が他のことでできているか、と問われると考えてしまいます。 人や場所により、その行動を変えることが大事だと思います。 それぞれ活用するにあたっては、天の利、地の利、人の利を活かすということになります。 自分で目標を定め、この3つの利を活用する方法を自分で考えてみましょう。 また、目標の内容に応じてそれぞれ得られる結果も変わってきます。重要なことは常に意識して、来るべきチャンスに備えることです。 まさに理にかなった行動とは、利にかなった行動とも言えますね。 どちらも結果を出すための基本となるので常に心に入れておきたいですね。

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理に落ちる

【漢字】理に落ちる 【読み】りにおちる 【意味】理屈が多い。こじつけの理由で言い張る。 【例文1】彼との話し合いはいつも理に落ちる。 【例文2】いつも理に落ちたことばかり言う。 【例文3】理に落ちるので話がまとまらない。 周囲に会話をしていると徐々に理屈っぽくなってくる方がいませんか。プライベートでも仕事の関係でもそうした会話は避けたいものですが、そうもばかりは言ってられません。そういう方との会話を指して「理に落ちる」というそうです。あまり聞きなれないかもしれません。話の中でも理屈っぽいと使用することがありますが、そもそも理屈とはどういった意味なのでしょう。物事の道筋、道理といった意味で使用されていれば、正論を話しているのであって、あまり悪い意味ではありません。 もちろん、それが正論であってもあくまで理想論であり現実での実現が難しいことを一々それらしく話されていては話し相手に良い印象は与えません。こうした会話をする方に自覚症状がある方、それらしくならないように注意する方は今まで見たことがありませんが。無理につじつまを合わせた理論、こじつけ、へりくつとこちらの意味では一気に胡散臭さが増します。こちらの意味だとどちらかというと、その場しのぎの机上論を並べているという意味合いにもとれ何か考えがあっての会話とは言えません。理に落ちるの使い方としては、現状を見ず理論上での不毛な議論を行う方の会話に使うのがいいのではないでしょうか。正に論より証拠が欲しいところです。 「理に落ちる」とは「理屈っぽくなること」です。現代ではあまり使われない言葉ですね。「今日はおめへのお蔭で酒が理に落ちていけねへ」などと為永春水の人情本、「春色梅暦」の中で使われているほど、昔は日常的な言葉だったようです。「春色梅暦」は美男子丹次郎と深川の芸者米八との恋愛模様を描いた作品で、明治時代までは「丹次郎」が美男子の代名詞に使われるほどの人気がありました。今でいうと誰でしょう。まあ、それほど読まれていたということです。「理に落ちる」で思い浮かぶのは有川浩さんの「Story seller」という本の「site B」。主人公の女流作家と旦那との出会いの場面で、主人公の話しかたが「ロマンティックなのに、理屈っぽいところが、好きな小説にそっくり」だと納得する部分があるのですが、まさに、彼女の思考から生れ出た小説だからこそ。彼にとって理ではなく「腑に落ちる」展開でした。小説家の理、旦那の理、いろいろな理がスパイスになって、「劇中の劇」を見ているかのように二つの小説が味付けされていくのですが、最後の最後まで読んで、「Story teller」ではなく「Story seller」とした有川浩さんの題名の意図が汲み取れるという作品です。有川浩ワールドに導かれ、「理に落ちる」恋愛話もなんだか素敵だと思わされてしまいます。「理に落ちる」を疑似体験がしたい方にはオススメです。

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立錐の余地もない

【漢字】立錐の余地もない 【読み】りっすいのよちもない 【意味】人や物がぎっしり詰まって隙間がない。 【例文1】ライヴ会場は立ち見席まで立錐の余地もない。 【例文2】デパートのバーゲンセールで立錐の余地もない。 【例文3】立錐の余地もない商店街。 「立錐の余地もない」とは、錐を突き立てるほどの隙間すらないという意味ですが、そもそも錐を持っている人など何人いるでしょう。 錐は木材に穴を開けるための道具で先端が鋭くとがっています。 それを突き立てる隙間もないほどの混雑ぶりは、地方の田舎では中々お目にかかれません。 空家や空き地があちこちに見られ、錐を突き立てるどころか軽トラが不法投棄されかねないほどに場所が空いています。 使われていない場所ですが、そのくせ所有権はきっちり主張されています。 一定期間が経過しても空き地のままなら、購入されることなどまず期待できません。 虫歯が広がるごとく、空き地が空き地を呼び町が廃れていくさまは虚しいものがあります。 これは郊外の民家よりも、廃れた都市部の駅前商店街などにこそ良く見られる現象です。 地価は不相応に高く、建物はひしめき合っているのに来客数はほとんどなし。 優良駐車場しかない場所では、駐車料金無料を当然と考えている一般消費者は寄り付きもしません。 さらに酷いことに郊外に店舗計画があると中央が廃れるので許可しないという身勝手さです。 状況的には錐が刃先を上にして並んでいるかのごときもの、賑わう訳がありません。 そのような行政では人口が減少の一途をたどるのは至極当然なことと言えるでしょう。

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立身出世

【漢字】立身出世 【読み】りっしんしゅっせ 【意味】社会的に高い地位につく。 【例文1】政界に進出して立身出世した。 【例文2】彼女は野心家で人脈が厚く立身出世するだろう。 【例文3】立身出世を目指す。 自分の辿って来た道とこれから辿る道を考えると、よく不安を感じますが、それはやはり燃え尽きたという思いや頑張った努力の証といったものが過去に殆どないからでしょうか。私はよくあれこれと考え落ち込む事が多いのですが、人間であればそれも不思議なこととは言えないでしょう。落ち込みグセのある人も、やはり前を向いて人生を歩まねばならない今日ですが、立身出世と言う四字熟語を知っているでしょうか。 社会的に高い地位に就いて名声を勝ち得ることを表します。立身は世間から良い評価を受ける事、出世は地位を手に入れる意です。明治時代には立身出世を人生の目的にする人が多く居た様ですが、現代においてもそういう人は沢山いるでしょう。立身出世をして故郷に錦を飾ることを夢みるのも、人生における一興でしょう。私はそこまで野心が強くあるといったタイプでは無いので、あまり地位や名誉に今のところ拘りも無い訳ですが、それでも一人前になって規則正しい生活を己の努力と共に送って行く事に対して憧れや希望があります。人生は一度しか無く、限りあるもので貴重なので、立身出世や立身揚名の為頑張って暮らしたいと思う気持ちには共感出来ます。上を向いて一歩ずつ目標に近付ければ良いかと思います。

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律義者の子沢山

【漢字】律義者の子沢山 【読み】りちぎもののこだくさん 【意味】まじめな人は夫婦仲がいいので、家庭円満で子宝に恵まれるもの。 【例文1】祖父母は律義者の子沢山で理想の夫婦だ。 【例文2】律義者の子沢山を目指して家庭を持つ。 【例文3】1人っ子なので律義者の子沢山を羨む。 「A grave man will have a large family」が英語圏での言い回しらしいです。 はて、graveの意味って墓だった気がするけれど、墓男が大家族とはこれ如何に。 よくよく調べると形容詞graveの意味は「厳粛な」「地味」でした。 それならば日本語と大差ない表現になるので納得できました。 「子沢山な律義者」はいても「律義者が子沢山」とは限らないと思うのですが、どうでしょう。 計画的な律義者であれば、生活費や教育費について確実に育てられる子どもの人数を算出して子沢山には至らないように思えるのです。 ただのお人よしな律義者であれば、 父母「はやく孫の顔が見たいねぇ」 律義者「はい。そのように努めます」 そして生まれる第一子を抱きながら 父母「男の子(女の子)も欲しいねぇ」 律義者「はい。そのように努めます」 そんな感じで求められるがままに子どもが増えていくという光景が想像できます。

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離合集散

【漢字】離合集散 【読み】りごうしゅうさん 【意味】離れたり集まったりする。 【例文1】社会人になり離合集散だが、4年に一度の同窓会がある。 【例文2】娘が嫁ぎ離合集散になる。 【例文3】離合集散があるから感銘を受ける。 離合集散は読んで字のごとく離れたり集まったりすることです。 私は25歳で結婚して3人の子どもを育てあげました。子育て時代は夜中のミルクつくりから夜泣き対応、幼児3人連れてもお出かけは大変でしたが、成長するに従って一緒に笑ったり泣いたり子ども達の寝顔や笑顔を見て癒されました。 長男はいつまで母親と寝てくれるんだろう。一緒に添い寝して思っていました。この幸せがずっと続くものだと思っていました。 やがて思春期を迎えとうとう個室がほしいといわれ中学校に入ると自分の部屋で過ごすことが多くなりました。二男・長女も個室でそれぞれ過ごしてきました。大学進学、社会人になると実家を離れ夫婦二人だけの活気のない生活になりましたが、夏休みとお正月は家族みんなが集まって1週間だけ賑やかに過ごします。就職で一度は県外に出た末っ子の長女もいまや結婚して地元に帰って来て子育てに追われています。車で7分くらいのところに家を構えていますので、週末は孫を連れてきて本当に賑やかな暮らしをまた送れるなんて夢のようで幸せです。1年に1回は子育てを終えた同級生と温泉旅行に行くのも楽しみです。

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理屈をこねる

【漢字】理屈をこねる 【読み】りくつをこねる 【意味】主張ばかりして非を認めないこと。 【例文1】彼はいつも理屈ばかりこねて呆れ果てる。 【例文2】理屈ばかりをこねるのは負けを認めたくないだけだ。 【例文3】理屈をこねてばかりでしつこい。 会社なり学校なり何かの組織に属していると必ず出会うのがすぐに理屈をこねる人です。 理屈をこねるとはどういうことかというと、人の言葉の揚げ足をすぐにとって相手を論破したり、無理に話の内容を理屈でとらえてしつこく何度も相手に言って聞かせたりする人のことをいうわけですが、そういった類の人には特徴があるように思います。 理屈をこねる人というのは基本的に人に謝るのが苦手です。ですから簡単には「すみません」「ごめんなさい」などの謝罪の言葉は簡単には言わない傾向にあります。 自分の非を絶対に認めたくないが故に、あれこれと自分の頭の中で理屈をこじつけて自分は悪くないという理由付けをしたがります。 また、他の人の意見を認めないという特徴もあります。自分のことは周りに人一倍分かってもらいたがるのに、 人の意見には納得しません。他人の意見を認めるということはイコール負けると感じているからです。 ただ自分の意見を理屈で述べるだけではなくて、他人を理屈で屈服させることに気持ちよく感じているので容赦なく相手にしつこく理詰めしていきます。

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理屈と膏薬はどこへでも付く

【漢字】理屈と膏薬はどこへでも付く 【読み】りくつとこうやくはどこへでもつく 【意味】膏薬とは塗り薬を言う。薬はどこにでも塗ることから、どんな事にももっともらしい理屈がつくもの。 【例文1】これはまずい事になったが、理屈と膏薬はどこへでも付くのでどうにかなるだろうと言い訳けを考える。 【例文2】こんな時でも理屈と膏薬はどこへでも付けるのか。 【例文3】理屈と膏薬はどこへでも付くばかりで呆れる。 理屈と軟膏はどこにでもつくという言葉聞きなれないですよね。 一体どんな言葉なのでしょうか。 理屈と膏薬はどこへでも付くは日本のことわざで、薬に使われる軟膏は体のどこにでもくっついてしまうように理屈もどんな行動や事象に対してもついてしまうという意味です。 例えば、目の前に木の枝が落ちていた時にそばにいた友達が、あの木の枝は犬を叩くのにちょうどいい長さや太さだねといって犬を殴りだしたとします。。 この時、犬は何も悪いことをしていません。ではなぜ犬は叩かれているのでしょうか。 この友人は犬を叩く理由が欲しかっただけで、どんな木の枝を見つけても犬を叩いていたでしょう。 このような時、あの木の枝は一見持ちやすそうで犬を叩くのにもちょうど良いのかもしれない。でも、木の枝が落ちていたからといって犬を殴っていいわけではないですよ。そう言うのを理屈と軟膏はどこにでも付くと言うんだよと、諭してみるのも良いでしょう。

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李下に冠を正さず

【漢字】李下に冠を正さず 【読み】りかにかんむりをたださず 【意味】李(すもも)の木の下で冠を被りなおそうと手を伸ばせば李を盗ろうとしてるような誤解を与えるたとえから、疑わしく思われるような行動はすべきではないという戒め。 【例文1】洋服売り場でキョロキョロ友人を探していると、李下に冠を正さずで万引き犯と間違えられた。 【例文2】孫の迎えを校門で待つよう初めてお願いされたので、李下に冠を正さずで堂々としておく。 【例文3】花粉症でマスクに眼鏡に帽子は李下に冠を正さず不審者に思われる。 李下に冠を正さずとはすももの木の下で冠をかぶりなおそうと両手を挙げれば李を盗ろうとしたと疑われるものである。疑われるような言動は慎むべきたということです。 まさにその通りだと思いました。 私はいつもの近くのスーパーへ買い物に行きました。 カートを押して店内をグルグル回っていました。途中お友達に会い、立ち話をしたり、献立が決まっておらず、さらに空の買い物カートを押しながら買い物しようとしていました。スマートフォンで計算したり、ラインをしたり、その都度ポケットやバックの中にスマートフォンを入れました。 私は買い出しを済ませレジに向かいました。 レジで精算をしてお店の外に出ると、一人の店員に呼び止められました。 「お客さん、支払い前のお品はないですか?」と言われ、私ははあ?と思いながらも 「事務所までよろしいですか?」と言われ、私は事務所まで連れて行かれました。 事務所に着くや否や店長らしき人物が「清算済みでない商品がありますよね?バッグの中身とポケット中を確認されてください」と言いいました。 私は無実だと言いきれたので堂々と見せてあげました。当然どこ探しても精算前の商品なんか出るわけありません。防犯カメラも確認して私が疑わしい動作をしたことにより万引き犯と勘違いしたということが証明できました。声を張り上げて文句を言ってやりたいと思いましたが、毎日利用するスーパーですので、一言だけにしました。李下に冠を正さずですが、きちんと確認してから声をかけてほしいものですね。 瓜田に履を納れずと一緒に使われます。四字熟語で「瓜田李下」としても使われています。 李(すもも)の下で冠をかぶり直すために手を上げると、李を盗ろうとしているような誤解を与え、また瓜畑で脱げた履(くつ)を探していると瓜を盗もうとしていると疑われるというように、疑わしいまねはする物ではないという教えです。出典は「古楽府・君子行」です。 落語の怪談牡丹灯籠(三遊亭圓朝)の中にも、女性の所を夜に訪ねる男性に対し、瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず位は弁えておりましょうに。という場面があります。もっとも、この女性は幽霊なのですが。 現代においてもしかりです。疑わしい行動をして失敗をする人は結構いるのではないでしょうか。例えば、書店やスーパーで万引きをしていないのに、疑われてしまう人がいます。そういう人は、普段からきょろきょろと周囲を窺ったり、大きなバックを持っていたりします。そんな些細なことと思われることが、疑われる理由になるのです。大きな犯罪にしても同様です。まず、疑われる人は普段からなにか挙動が不審なのです。 まさに、瓜田李下です。ちょっとしたことかもしれませんが、不愉快な思いをしないためにも、自分の行動を振り返って見ましょう。

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利害得失

【漢字】利害得失 【読み】りがいとくしつ 【意味】自分の利益と損失。 【例文1】利害得失を考えて食材の仕入れをする。 【例文2】夏祭りの売り上げの利害得失を勘定する。 【例文3】利害得失で行動する。 「利害得失」とは「利益と損害、得るものと失う物」という意味で文字通りです。これは大抵の人が何かを選ぶ時の判断基準のひとつとして考えるものではないでしょうか。 戦国時代はこれは特に重要視されていました。「利害得失」にこだわった天下人の一人が豊臣秀吉です。彼は多額の軍資金を蓄え、朝鮮にまで出兵しました。それは彼の巧みな方法から得られたものが元になっていました。その方法とは楽市楽座です。戦国、安土桃山時代に、大名が商人を城下に集めるために城下町や重要都市で旧来の独占的な市、座といった特権を廃止し、新規の商人にも自由な商売を認めたことです。秀吉は大阪城下に商人を呼ぶために、城下の土地を無料で提供しました。 そして売り上げの何%かを税金という形で納めさせました。土地がタダなら商売もしやすくなります。店ができれば人が来ます。人が来て住むようになれば家を建てる材木が売れ、大工が必要となり、さらに人が増えていきます。そして城下が賑やかに人が往来し、繁栄していくのです。その頃からの歴史がありますから、大阪商人、近江商人、伊勢商人と商売上手な商人が日本中で活躍するようになったのも頷けます。ちなみに秀吉の軍資金は彼の死後、家康の策略で茶々と秀頼が、寺社仏閣の普請代にと次々出させられてしまいます。そのお陰で京都の立派な寺社仏閣が今日まで残ったのですから皮肉なものです。

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梨園

【漢字】梨園 【読み】りえん 【意味】歌舞役者の世界。 【例文1】梨園の妻は控えめな女性でないと勤まらない。 【例文2】梨園の妻は気苦労が多く大変そうだ。 【例文3】梨園の妻が後継ぎを生む。 梨園の妻とは歌舞伎役者の妻のことを言います。 真っ先に思い浮かぶのは記憶に新しい2017年6月に死去された海老蔵さんの妻、小林麻央さんです。 闘病生活のころから連日ニュースで取り上げられ、ブログでも前向きに生きていただけに本当に残念でなりませんでした。 海老蔵さんも悲しんでいる姿が移ると本当によくできた奥さんだったことがよくわかります。 梨園の妻は一歩下がって夫を陰で支えるという役目をしないといけないとテレビの特番で言っていました。 結婚前はアナウンサーや女優といった華やかなお仕事をされていても歌舞伎の世界に入ると家庭に入り家族を支えていかなければならない暗黙のルールがあるみたいですね。跡取りを生むことにもプレッシャーがあるみたいに思いますが、再婚しても今なお女優を続けている藤原典香さんの生き方はどうなるのか気になるところです。梨園の妻は夫を立てないといけませんから、女優業はどうなんでしょうね。 テレビやネットのニュースや話題に歌舞伎役者に関することが取り上げられるとき、よく「梨園の妻」という表現が使われます。その用法から「歌舞伎の世界ことを梨園と言うらしい」ということは推測できても、なぜ歌舞伎の世界を「梨の園」と表現するのか、わからない人も少なくないでしょう。 この言葉の由来は、中国の唐、玄宗皇帝の時代にさかのぼります。玄宗皇帝は舞楽が大好きで、長安の郊外に芸人や楽人を集め、歌舞音曲の芸を磨かせるための養成所を作りました。 そこでは、皇帝自ら、舞楽を教えたとされています。 その庭園にはたくさんの梨の木が植えられていたため、その養成所や芸人たちの世界のことを「梨園」と呼ぶようになったのです。 その言葉が日本にも伝わり、江戸時代に歌舞伎ができてから、日本の代表的な芸能である歌舞伎界のことを梨園と称するようになったというわけです。 今もそうですが、その発生から一貫して、歌舞伎界といのは、一般社会とはかなりかけ離れた世界であり、特殊なしきたりや習慣があるため、梨園という言葉には「ふつうの社会とは違う特殊な世界」というニュアンスがあると考えていいでしょう。 ですから、「梨園の妻」という表現には、「歌舞伎界という特殊な世界に嫁いだ女性」という含意があるというわけです。

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